2024/12/31

墓参りに行って、帰ったら玄関先の掃除。それが終わったら親戚の家で夕飯を食べる。
年を越すときにはまた家に戻る。

叔父の家でたらふく食べて飲んだ。カルパッチョサラダ、パテ、サーモン、ホタテシチュー、スモーク肉、オリーブ、豆のサラダ、キッシュ、チョコレート、ホイップクリームとイチゴ、みかん、紅茶、コーヒー。詰め込んだ。夜中、御徒町を少し歩いて鳥越神社を見て、年が明ける直前に帰宅。新年の挨拶をした。

その後帰ろうとしたのだが僕のフランス留学の話になってそこからさらに話し込む。叔父の妻がフランス人なので、色々と話を聞くように母に促された。フランス語の勉強が辛いこと、モチベーションの維持が難しいこと、パリの家賃や物価、治安状況、そもそも留学が必要なのか等々。

自分の中に二つの意見がある。一つは留学をしたほうが大学の就職先を見つける上で有利であること、フランス思想の研究にとってプラスにはなるだろうし、研究力も底上げされるであろうこと。もう一つは、結局それはたんに箔がつくからやったほうがいい、程度のモチベーションでしかないから、そんな程度ならやめてしまえ、ということ。僕の中に、フランスの歴史や文化、言語に対する好みや憧れは特にない。研究上必要だからやっているだけ。しかし実際のパリの暮らしは本当に大変だと散々聞くし、自分は国際系の性格でないだろうし、パンよりもご飯が好きだし、、、。留学のモチベーションを上げるような良い情報、ニュース、明るい見通しが何もない。ただ「やったほうがいいと思うから」やっているだけ。動機があまりに消極的だというのは重々承知している。

叔父には、もう創一郎の中で答えは決まっていると思う、行かないんだろ、と言われた。どうだろう。でも、もう一度そこから考え直すべきだなとは思った。ずっと行かないかは分からないが、あと9ヶ月後に行くかどうかは、考え直す。しかし現実的な猶予はそこまで残されていない。僕もそれなりの年齢だし、高齢になるほど受けられる支援は減っていく。(最低)1年間を海外での自分の研究のためだけに使えるのは、博士課程とポスドクの間だろう。助教になったら授業をやらなければならない。そもそも助教になるために、大学の公募で留学経験を要求される場面が多いかもしれない。嫌々でも留学しておくことで、ずいぶんと道のりが楽になるのかもしれない。分からない。

フランス語の勉強を継続するために、これまでいろいろなことを試してきはした。だがいまだに、自分の生活の中のどの時間帯に、どこで、何を、どのように語学学習を取り入れていったら上手くハマるのか見つけられていない。特に聞き取りと会話。朝起きてすぐとか、食事の準備中、食事中、などなど試したが、続かない。大学の授業も何度か試したが、無理やりその場に居合わせようと努力するたびに疲弊する。常に他のやりたいことがある。フロイトを読みたいしラカンを読みたい。ふと無音で考え事をしたい時もある。そういうやりたいことを我慢してフランス語の勉強をするのは本当につらい。そういうのが毎日頭の隅についてまわるのが憂鬱にもなる。

フランス映画は好きだが語学としてはあまり効果を感じない。ラカン関係の動画や音声も、結局あまり面白くないからすぐ閉じてしまう。とりあえずフランス語音声を流してみても、全然集中力が続かない。よく分からない音声を集中して聴き続けることができない。結局僕は内容が全てなのだと思う。ラカンの理論も、内容が面白いから好きなのだ。もしラカンが日本語で書いたり喋ったりしてくれれば、僕にとってはそれが一番ありがたいのだと思う。あるいはラカンの言っていることと同じことを展開している日本人の哲学者・思想家がいれば、僕はその人を研究するのだと思う。

内容至上主義。要するに何を言っているのかを知りたい。僕がラカンをとことん読もうとするのはその傾向があるから。だが周知の通りラカンの語りはその形式に独自性があるとされる。でも僕は、ラカンの理論には内容としてのきわめて魅力的な独自性があると思う。それが形式の独自性と関連があるのか、まだよく分からない。ラカンがあの独特の語りの形式を抜きに、あの理論を構築できたのかどうか分からない。だがそのことは、ラカンの形式をはぎ取ってその内容をむき出しにしようとする僕の研究それ自体の可能性を左右すると思う。

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