2024/12/12

Écrits « inspirés » : Schizographie, PARU DANS ANNALES MÉDICO-PSYCHOLOGIQUES, 1931 (Paru sous les signatures de J. Lévy-Valensi, P. Migault et J. Lacan.)「霊感」を受けた著述〔〈吹き込まれた〉手記〕:シゾグラフィー

入院した34歳の女性小学校教師マルセルの手記を精神病理学的に分析した報告書。彼女自身は、要求revendiccation、憎悪haine、エロトマニア的妄想など、パラノイア精神病的な症状を示す。

そこでラカン(たち)は、この患者の書いた文章がその妄想の基盤を明らかにするのではないかと考える。「パラノイア性精神病の構造」(1931)でも、妄想患者の文書は貴重な資料であることが強調されていた[PE 52]。

患者はある種の外的作用action extérieureによって「霊感inspirations」を得て、特徴的な文章を書く。例えば、

「私はすべてを知りたいのです、あなたに(15)して差し上げるために、しかし臆病者の鼠や試し撃ちの大砲(16)のように微笑んでください、ですが私は(17)推測するにはあまりに長くかかりすぎます。他者に加えられる悪行を考えれば、私の「ヴァルス(18)の五羽のガチョウ」が卑劣なものであり、あなたは聖なる処女と許しを試みるメロン(19)であることを推測するに至ります。しかしオーヴェルニュの用語集をすべて削減しなくてはなりません。なぜなら、清澄な水で手を洗わずにいると、乾いた寝床でpissaduire(20)をしてしまい、マドレーヌ(madelaine)はさっぱりとした見知らぬ者(trader)なしで、この刈りたての連中(21)のすべての娼婦をやり過ごして、彼女のoraies(22)を最も整った状態に保ち、声は穏やか、顔色は快活なのです。私はtougnate(23)について悪口を言いたかったのですが、生の生を全うする害にならないように、そして費用もかけずに司法警察(24)を行うことができます。ですが世界を驚かせるには、barbenelle(バルベネル)の忌むべき悪党のように、寝床なしでtougnate(25)をやらねばなりません。/汚れた髭どもは、軟膏裁定(emplâtre judice)の王国でもっとも学識ある者たち(26)ですが、黙ってgnogne(28)を学識(érudir (27))して、それを乾いた状態で流し込まなければなりません。もし私が告発するなら、私は自分が何をしたか知っています(29)。」[PE 67]

など。論文にはいくつかの文書が掲載される(実際にはもっと多くの資料がある)。マルセルは医師たちに求められても、霊感にしたがった文章を書くことができる。

マルセルが自分の書いた文章に対して見せる態度は、a「(それらの価値の)絶対的確信Conviction absolue」、b「困惑Perplexité」、c「非順応的姿勢の表明」がある。

a:一見すると支離滅裂な文章であるが、マルセルはこれが特別な宛先人に向けられたものであり、その人であれば理解できるはずだという確信を抱いている。メッセージは、特定の他者に向けられている。

b:この文章の内容についてはマルセル自身も困惑しており、その意味を理解していない。しかしこの困惑がaの確信を損なうことはない。松本卓也『人はみな妄想する』では、ラカン派において「困惑」は「その意味作用が自分に(主体に)関係するものであるということをはっきりと確信している」ことを指すとされている(p. 139)。ラカンのセミネール3巻の議論まで行くと、理解不能(故に困惑される)な現象は主体の象徴界の外部に、現実界に出現しているために、それを「否定」することができない。無視することができない。これが、主体がそれに対して確信を抱いてしまう原因でもある。と考えれば、「困惑」と「確信」はぴったり貼りあわされていることになるだろう。

ラカンたちはマルセルの文書に関して、A. 語形的障害troubles verbaux、B. 名辞的障害troubles nominaux、C. 文法的障害troubles grammatiques、D. 語義的障害troubles sémantiquesの四つの視点から分析すると述べる。これは失語症研究で知られたヘンリー・ヘッドHenry Headの区分によるものだという。

続く。

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