レーナルト章加筆。
「象徴界、想像界および現実界」におけるレーナルト
「象徴界、想像界および現実界」はラカンがSPP(パリ精神分析協会)の内部抗争を経てSFP(フランス精神分析協会)を創設し、1953年7月8日にその最初の基調講演として行われたものの記録である。約2ヶ月後の「ローマ講演」がラカンのテクストとしてはよく知られまた研究もされているが、この「象徴界、想像界および現実界」にはすでに「フロイトのテクストへの回帰le retour aux textes freudiens[1]」や、象徴界、想像界、現実界という独自のトリアーデが出揃っている。この節では本テクストを読解しながら、レーナルトへのラカンの参照が、その理論の中でどのように位置付けられているのかを確認しよう。
はじめにラカンは、フロイトのテクストの中でも特に五大症例(ドラ、狼男、ねずみ男、シュレーバー、ハンス)への再読を行なった2年間の私的なセミネールの成果を要約することがこの発表の内容であると語る。ラカンがこれらの症例を検討することを通じて提起したのが、「人間的レアリテに本質的な三つの領域、その名は象徴界、想像界および現実界」[NDP 13]である。これら三つ領域が形成するトリアーデはその後のラカンが終生にわたって理論的に深化させていくものであるが、その発見がフロイトの症例論の再読に由来していたことは注目に値する。
この時にはすでに、トリアーデのうちの「象徴界」に重点が置かれている。というのも、精神分析がなぜ主体になんらかの変容をもたらすことが可能なのかを考えることは、
分析実践における「話すことparler」の機能を考察することに等しいからである。そして次のように問う。「話すことParler、それがすでに分析経験の主題に踏み込むことになります。まさにここでまず問いを立てるのが適切です ― 言葉parole、つまり象徴symboleとは何か ?」[NDP 16]。
人類学的な思考は、この問いを考えることに関係する。言葉を話すことによって主体に変容が生じるという分析経験から、分析家たちは精神分析を人類学における「呪術的思考pensée magique」にしばしば結びつけてきた。フロイトは度々人類学を参照することで自らの精神分析的な社会理論を形成してきたし、人類学者たちはそれに対して批判的な態度をとりながらも、まさにそれを通じてこそ人類学を発展させてきもした。精神分析が人類学的な視点を借り受けて自らの分析経験を映し出そうとするのは、ラカンに始まったことではない。これに対してラカンは、みずからも最新の人類学的知見を取り入れてはいるが、分析経験を直ちに呪術と同一視しようとするこうした分析家たちの傾向を問題視している。「しかし、そのことから分析そのものが呪術的思考の領域で作用していると考えるに至るまでというのはほんの一歩に過ぎません。特に、まず根本的な問い ― 言葉の経験とは何か?言葉の本質や交換とは何か? ― そして同時に分析経験の問いを立てる決意をしなければ、簡単にその一歩は踏み越えられてしまいます」[NDP 17-8] 。ラカンの人類学に対する態度は、特にレヴィ=ストロースへの賛辞や繰り返しの言及に見られるような積極的な側面と、今示した引用に見られるような慎重な側面とがある。人類学的な知見を参照しつつも、分析経験を人類学的経験に還元するのではなく、分析経験や人類学的経験がそれぞれにそこを目指して思考しているところの「言葉の経験l’expérience de la parole」そのものへ向かうことが、ラカンの立場だと言えるだろう。
発表はこの後、想像界についての動物行動学的な内容を含む主題から象徴界の主題へと展開していく。
[1] DES NOMS-DU-PÉRE, p. 11, マリーニによればこの文言はここで初めて登場する(マリーニ、p. 239)。
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