Lucien Scubla, « Le symbolique chez Lévi-Strauss et chez Lacan », Revue du MAUSS, n° 37, janvier 2011, p. 253-269.の続き。
p. 259に入ると、1956年のレヴィ=ストロースの講演とそれに対するラカンのコメントの話に移る(Seuil社のLe Mythe individuel du névrosé: ou poésie et vérité dans la névroseの最後のセクションに収録されている)。この時期、レヴィ=ストロースは「構造と弁証法」(『構造人類学』p. 257-266)という論文を書いており、これはヤコブソンへのトリビュートとして書かれたものなのだが、その内容とこの講演は関連しているようだ。また、ラカンはここで、1952(あるはい1953)年の「神経症者の個人神話」において、レヴィ=ストロースのformule canoniqueをねずみ男症例に適用したのだと語っているらしい(cf. 9/22の記事https://shanazawa4.wordpress.com/2024/09/22/2024-9-22/)。
だが、Scublaによればこれはパラドクシカルである。なぜなら、レヴィ=ストロースが公的にこのformule canoniqueを論文の中で発表したのはこれまでに何度も見てきたように1955年の「神話の構造」においてだからである。ラカンの発言は、この定式が1955年以前にすでに構想されていた可能性を示唆している。Scublaはこのことから、ラカン、レヴィ=ストロース、バンヴェニスト、数学者ギルボーらが共同研究(cf. ルディネスコ『ラカン伝』、p. 391)を行っていた1951-52年のあたりにすでに定式化がレヴィ=ストロースによって手をつけられていたのではないかと推測している。
なお、(少なくともこの時点では)Scublaは参照していないが、同年2011年のLucchelliのごく短い論文(ほとんど報告書)では、Lucchelliがレヴィ=ストロースとの手紙から、formule canoniqueを1952年には使い始めており、ラカンにも伝えていたかもしれないとする記述を発掘してきている(cf. 9/22の記事https://shanazawa4.wordpress.com/2024/09/22/2024-9-22/)。Scublaの推測はほぼ当たっていた可能性がある。
ともかく、Scublaはこのようにしてレヴィ=ストロースのformu;e canoniqueとラカンのシェーマLを同列に並べ、両者が同時期に相互作用の中で形成されてきたと考えることで、レヴィ=ストロースとラカンの影響関係を——従来の「片想い説」とは違って——相互的なものとして考えようとしている。
ただp. 260-1に入ると、Scublaはレヴィ=ストロースの使う「象徴主義le Symbolisme」とラカンの使う「象徴的なものle symbolique」を分け、この用語法の違いが実は重要な両者の立場の違いにもなっているのだという議論を始める(しかし注では、レヴィ=ストロースも後年、「神話論理」の時期に入るとラカン的な意味での「象徴的なもの」という用語を使い始めるらしい)。
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