2024/9/22

昨日から今朝にかけて、ゲーテの『詩と真実』のフリーデリーケの話を読み、今朝、ラカンの「神経症者の個人神話」の残りの部分を読んだ。今日はこれからあきる野でヨーガがあるので詳細な検討は後日にまわす。また、レヴィ=ストロースの「神話の構造」(1955)について、仏語論文を読むのに必要な分だけ、ざっと目を通した。例の定式fx(a) : fy(b) = fx(b) : fa-1(y)もでてきた。これが何を意味するのかをしっかりと理解するのは中々難しそうである。

Juan Pablo Lucchelli(2006), Le mythe individuel revisité を再び読んでいる。ねずみ男症例もラカンの「神経症者の個人神話」も読んだあとなので、かなり理解できる。おおまかにはラカンの講演内容をまとめて、それをレヴィ=ストロース「神話の構造」の上の定式に適用するといった論文である。ねずみ男症例に関して筆者の主張といえるのは、「反復は単に同じものの反復ではない」(p. 157)という点である。変化して、反復される。

また、患者の父が「去勢された父」であることも強調されている。ひとつには金持ちの女性(母)との「有利な結婚mariage avantageux」、そしてもう一つには友人に対する借金によって。前者は(男性的)負債、後者は社会的負債といえよう。負債を負っているとは、つまり去勢されたということである。そして父親が友人に金を返せなかったのと同様に、患者もまた立て替えられた金を返すことができない(A中尉に返そうとしても、中尉は立て替えていないのである)。

Lucchelli は、ねずみ男とその父の「家族神話」について、父から患者へ引き継がれているのは「幻想fantasme」であると述べている。ここはどういうことかのかわかりにくい。

後半はレヴィ=ストロースの定式にねずみ男症例を適用していくパート。lucchelliは、上に挙げた定式をみて、誰もが疑問に思うことを正当に指摘している。つまり、なぜfx(a) : fy(b) = fx(b) : fy(a)というふうに単純に項a, bの交代が起こるのではなく、fx(a) : fy(b) = fx(b) : fa-1(y)なのか。特に最後の要素fa-1(y)はなんなのか(lucchelliは「a」の字体が異なることを指摘している)。

左辺では一つの項であり変数であったaは、右辺ではむしろ関数になっており、代わりに関数であったyが変数になっている。変数と関数の交換がある(なぜa-1なのかは説明がない)。そしてレヴィ=ストロースの記述を引用して、レヴィ=ストロースが例示していた「poshaiyanki」の定式が、上のよくわからない定式に対応しているとされる。このことからlucchelliは、これらの定式が、反復が単なる反復でなく変化を伴うものであることを表現していると主張している(p. 157)。

そして、ねずみ男の父親と、ねずみ男についてそれぞれ、レヴィ=ストロースの定式に代入するかたちで負債の関係を示している。

まずは父親の場合。

(Pere : x):(Ami : pere): :(Pere : fp):(FR : pere)

これは「: :」の左と右で、それぞれ借金の問題とロマンスの問題を示している(社会的負債と男性的負債の二重の負債)。Pere : xというのは、父親が軍隊に対して負債を負っているということ(横領したから)を意味している(Pが大文字なのは去勢前を意味している?)。そして父親が横領金を返済するために、彼の友人Amiが父親に金を貸した(Ami : pere)。右辺のPere : fpは、lucchelliによれば、父親が貧しい女性に対して負債を負っていることらしい(どういうことか?)。そしてその負債を肩代わりしたのが金持ちの女性(母親)である(FR : pere)。

次にねずみ男における定式化とその解説がなされているのだが、それはまた明日にまわす。

lucchelliは2011年にごく短い論文を書いている。 Juan Pablo Lucchelli(2011), À propos de Lacan et Lévi-Strauss,である。ここでは、ねずみ男症例をレヴィ=ストロースの定式(formule canonique)に適用するという自らの立場を補強するための二つの資料的根拠を追補している。

一つはseuilから出ている「神経症者の個人神話」に収録された、1956年5月26日のラカンとレヴィ=ストロースの討論である(これは先日購入し、届くのを待っている)。ここでラカンは、レヴィ=ストロースによって与えられたある定式を強迫神経症に適用できる、というようなことを言っている。ただ、そこで大まかに説明されている定式は、aやbに加えてcやdといった項が登場するものであって、レヴィ=ストロースが「神話の構造」で示したものとはすこしことなる。

lucchelliによれば、2000年1月21日の著者宛の手紙(lucchelliはレヴィ=ストロースと文通していたか)で、この定式を論文として出す前にラカンに伝えていたかもしれないこと、1952年から自分は用いていたらしいことを書き送ってきたという。そして著者は、bibliotheque nationale de Franceに保存してある、1952-53年のレヴィ=ストロースの草稿の中に、問題の定式を発見することができたという。それは次のものである。

d(b)/c(a) : d(a)/c-1(b)

これは、「神話の構造」(1955)での定式の前段階のものであり、なおかつラカンが討論会で言及している形どおりである。

とはいえ、この定式が何を意味しているのかの詳細はこの論文(報告書、程度のものだが)では解説されていない。

Juan Pablo Lucchelliは2014年に「Lacan avec et sans Levi-strauss」という著作を出している。おそらくこの本では上に見てきた論文の内容がまとめられていると考えられる。調べていたら、さらにその後2022年に「CE QUE LACAN DOIT A LEVI-STRAUSS (CLINIQUE PSYCHA)」というのを書いていることがわかった。

色々見てきて思うのだが、ラカンとレヴィ=ストロースに関する研究には大きく二種類ある。一方はラカンとレヴィ=ストロースの思想を比較する研究であり、他方はラカンに対するレヴィ=ストロースの影響を研究するものである。僕の今回の研究は後者に当たる(それゆえ扱う年代は50年代までに比較的限定される)。この方針の研究としてはどうやらJuan Pablo Lucchelliがかなり最先端というか、中心的役割を果たす研究者であるようだ。

ただ、これらの先行研究をどう活かすかというのは考えているのだがなかなかうまい道筋が思い浮かばない。マリノフスキー、レーナルト、レヴィ=ストロースを順番に見ていって、呪術論とペルソナ論を、ラカンのパロール論へと収斂させるという構想があるのだが、それに役立つような形で、あるいは論争的に先行研究を活用できないかと悩んでいる。まだ本命の本を手にも取れていないのでわからないが、たとえばLucchelliの仮説であるformule canoniqueとねずみ男症例の関係性を、どうやって自分の研究に繋げられるだろうか。松本がいうような通時における共時とか、いくつかの研究に共通する、ラングとパロールの関係とか。シニフィアンとシニフィエの話ならちょくちょくあるのでこれを呪術論に繋げることはできそうだが、ペルソナ論になると難しい(今のところメールマンの悲しき熱帯論くらいか)。

自分の研究は歴史的実証的な影響関係を示すものではない。思想的な連関を指摘するものである。先行研究が示す影響関係を、自分のような研究の意義を支持するものとして少し使う、くらいのことはできるかもしれない。

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“2024/9/22”. への2件のフィードバック

  1. 2024/10/7 – shanazawa.com

    […] Scublaは、レヴィ=ストロースが精神分析に無視的な振る舞いを見せている一方で、なぜかフロイト学説にかなり依拠している部分もあることを指摘している。その一つが、「神話の構造」のFormule canoniqueが登場する場面である(cf. 9/22の記事https://shanazawa4.wordpress.com/2024/09/22/2024-9-22/)。 […]

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  2. 2024/10/9 – shanazawa.com

    […] なお、(少なくともこの時点では)Scublaは参照していないが、同年2011年のLucchelliのごく短い論文(ほとんど報告書)では、Lucchelliがレヴィ=ストロースとの手紙から、formule canoniqueを1952年には使い始めており、ラカンにも伝えていたかもしれないとする記述を発掘してきている(cf. 9/22の記事https://shanazawa4.wordpress.com/2024/09/22/2024-9-22/)。Scublaの推測はほぼ当たっていた可能性がある。 […]

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2024/10/7 – shanazawa.com への返信 コメントをキャンセル