2024/8/26

昨日、ヨガのメンバーでお茶会をしていて、いま人生の中で一番文字を書いているということと、気持ちはもっと行けるはずなのに右手が腱鞘炎気味で身体の方がついてこなくなってきたという話をした。先生が言うには、村上春樹はまさに、創作には体力も必要だということからマラソンをはじめたらしい。精神エネルギーにふさわしい身体づくりも大切なのか、と、モチベーションも湧いてきた。

また、色々と工夫の余地はあると思う。タイピングでもっと左手を使えるようになれば右手の負担は減る。右手はエンターキーやらマウスやらでただでさえ使用率が高いのだ。あるいはよく使う用語を予測変換リストに登録して入力に必要な労力を節約していこう。

ちなみに、「哲学の門」に向けた論文は昨日提出した。査読を待つ。

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フロイトのメタサイコロジー。https://shanazawa4.wordpress.com/2024/08/12/2024-8-12/の続きです。

「マジックメモに関する覚書」(1925)の中でフロイトは「その後『快感原則の彼岸』において、知覚システムにおいて発生する意識という説明不可能な現象は、持続的な痕跡の<代わりに>発生するのであるという見解を付け加えた。」(中山元訳『フロイト自我論集』、ちくま学芸文庫、p. 307)といっている。「快感原則の彼岸」においてどのように論じられているのかを見よう。

「快感原則の彼岸」の中でフロイトがメタサイコロジー論をイェン解しているのは第Ⅳ節である。

まず、「意識はBwとよぶ特殊な体系〔システム〕の働きである」(フロイト著作集6、p. 163)。また、意識Bwと知覚Wが一体になって扱われていて、この「知覚-意識W-Bwシステム」は心の装置の外部と内部の境界に位置し、外界からの刺激の知覚と内部からの「快不快の感情」の供給を担っている。

そして、「夢事象の心理学」でも述べられていたように、Bwシステムはその受け取った興奮を持続的に保持していては新しい興奮を受け取ることができないので、それ自体は興奮を保持せず、その後ろにある記憶システムがその興奮の持続的痕跡を保持することになる。「Bw体系では、興奮過程は意識されるが、持続的痕跡は残さない」(p. 164)。そこから、「マジックメモ」で言及されていた命題が続く。「我々は意識の発生について、他の根拠から知ることの少ないことに思い至るならば、意識は記憶痕跡の代わりに発生するという命題に、一つの明確な主張としての意義を認めなければならない」(p. 164)。記憶痕跡の「代わりに」というのは、おそらく、あらゆる痕跡を持続的に保持できない「意識」と、痕跡を保持する「記憶」とが、相互排他的ということではないだろうか。したがって「意識」が可能となるのは、「記憶痕跡」が不可能となるところということになり、「意識は記憶痕跡の代わりに発生する」ともなる。

受け取った刺激を保持することのないこの「意識」というシステムについて、フロイトは「刺激を感受する物質からなる未分化の小胞」という有機体モデルを使って考える。その表皮にあたる部分、外界との接触点に当たる部分は、外界の強烈な刺激に晒され続けているために、元々そこにあった抵抗が克服されきってしまい、何も痕跡を残せない状態になっているのではないか、と考えられる。どうやらフロイトは、組織には興奮がそこを通るにあたって働く「抵抗」がはじめあり、興奮が伝導することによってその抵抗が「克服」されることで痕跡が残ると考えているようである。つまり抵抗のある部分とない部分との間の陰影が、記憶痕跡となるのである。そして「意識」システムに関して言えば、それが外界の影響に曝露され続けたことによって、この抵抗がなくなってしまった組織だということになる。

外界を満たす強烈なエネルギーに対して、この有機体は一番外側の外膜として「刺激保護reizschutz」を持たなければならない(p. 165)。そしてその保護によって弱められた刺激量を、2番目の皮膜層が感受する。外膜が皮膚の角質や爪のような無機的な組織になってしまうことで、それが刺激保護の層として働き、内部組織がエネルギー被曝によって死滅することを回避することができる。ややわかりにくいので何度も読み直したのだが、かつては最も外側で内部と外部の境界に位置していたBwシステムは、いまや二番目の皮膜層として内部へ引っ込んでいることになる。無機化した刺激保護の層と、そのすぐ後ろにあるBwシステムとの区別がややわかりにくいので注意。

ここでフロイトは、なぜか「時間と空間とは我々の思考の必然的形式であるというカントの命題」(p. 166)の話をする。「われわれは、無意識の精神過程はそれ自体『無時間的』である」。「第一に、時間的に順序づけられないこと、 時間はそれを少しも変化させないこと、時間表象を、それに当てはめられないことなどの特色があるのである。」なぜフロイトはこの場面で無意識の無時間性の話をするのか。どうやら、それは意識における精神過程との違いとして述べているらしい。意識は時間的で、それに対して無意識は無時間的。

「われわれの抽象的な時間表象は、むしろひとえにW-Bw体系の働く様式からひきだされたものであって、そのはたらく様式の知覚に相応するものであろう。」(p. 166)

意識システムのはたらく様式から、「我々の抽象的な時間表象」が引き出されるという。さらに「そのはたらく様式の知覚」とはどういうことだろうか?意識は無意識(おそらく記憶組織として語られているか)とは違って、持続的痕跡を残さないという特徴がある。そしてそのような特徴について自覚的・反省的に捉えようとすることで「時間」という表象があらわれてくるということか。「意識」のあり方はいわば「現在」のあり方でもある。これに対して無意識はあらゆる刺激の痕跡を保持していて、そこには「現在」はなく、過去も未来もない。すべてが並列かつ空間的・共時的である。それをフロイトは「無時間的」と言っているのだろうか。

今度は、外界からの刺激ではなく内部からの刺激について考える。「刺激保護」によって緩和される外界刺激と違って、内部刺激からは組織を保護することができない。とはいえ、「内部からくる興奮は、その強度と他の質的な特性(例えばその振幅によって)、外界から流れ込む刺激よりは体系の働き方に適合しているであろう」(これも厳密にはよくわからない。内部刺激がシステムの働き方に適合しているとはどういうことなのか)。そして、次の二つのことが決定的になるという。

「第一に、 装置内部の過程の指針である快不快の感覚が、あらゆる外的刺激に対して優位に立つこと、第二に、あまり大きな不快の増加を招くような内的興奮に対する反応の方向についてである。刺激保護の防衛手段を応用できるように、内部の興奮が、あたかも外部から作用したかのように取り扱う傾向が生まれてくるであろう。これが病理的過程の原因として大きな役割が注目されている、投射Projektionの由来である。」(p. 167)

「投射(ないし投影)」が、内部興奮を「あたかも外部から作用したかのように取り扱う」作用であるというのはわかる。だが、その原因になる二つの項目がわかりにくい。「快不快の感覚が、あらゆる外的刺激に対して優位に立つ」とはどういうことなのか?第二の「あまり大きな不快の増加を招くような内的興奮に対する反応の方向について」というのは、つまり内的興奮に対しては刺激保護が通用しないため、不快の増加に対する防護策が特殊な様式になる(つまり「投影」になる)ということだろう。しかし、それを「あたかも外部から作用したかのように取り扱う」ことに、何の意味があるのだろうか?実際には外部刺激ではないのだから、そのような取り扱い方をしたところで不快が減じるわけもないのではないか?

さて、先の問題は一旦置いておいて、フロイトは次に「外傷」について論じる。外部刺激からの「刺激保護」は、一定の強度の刺激に対しては有効であるが、その保護を上回る強大な刺激は、刺激保護を貫通して内部へと侵入してくる。これが「外傷性」の興奮ということになるのだが、この場合、快感原則はどのようにはたらくだろうか。一度内部へ侵入してきてしまった多量な刺激は「押し戻すことができない」(p. 167)。したがって、また別の方法で処理することになる、つまり「むしろ刺激を捉えて、料理し、侵入した刺激量を心理的に拘束し、その上でそれを除去すると言う別個の課題が生まれるのである」。

多量の刺激が侵入してきた部分の周辺には「それに相応した高度のエネルギー集中が行われるために、あらゆる側面から備給エネルギーが召集される」。そしてその反面、エネルギーが一箇所に集中しているため、その他のシステムからはエネルギーの大規模な撤収、つまり「逆備給」が起きている。まあ、この前提というか、傷口に白血球が集まるように侵入口の周辺にエネルギーが集中されるというのはそのまま受け入れられるわけではないと思うが、ともかく、フロイトはそこから次の推測を引き出す。

「 従って、我々は、このような事情からそれ自体、高度のエネルギー備給を持った体系は、新たに流入するエネルギーを受け入れ、それを静止した備給状態に変化させること、つまり心理的に『拘束する』ことができると言う結論を引き出すのである。」

エネルギーがあらかじめ集中しているシステムは、外からの強力なエネルギーを「拘束する」つまり受け止めるだけの能力を持っていることになる。なお、エネルギーの「静止した備給状態」とはブロイアーの発想であるらしく、彼によれば「自由の流動し、放出を迫る備給」と「静止した備給」がある(p. 168)。「意識」システムはあらゆる興奮が保持されえず、透過してしまう組織であるため、いかなるエネルギーをも静止した備給として保持することができず、そこでは「ただ自由に放出できるエネルギーしかそなえていないだろう」(p. 165)。興奮を保持し得ないはずなのに、自由に放出できるエネルギーを「備えてい」るとは矛盾にも見えるが、おおまかに、そこをエネルギーが自由に通行可能な領域で、実際にエネルギーが縦横無尽に動き回っているというように捉えることはできる。

したがって、「ふつうの外傷性神経症を、刺激保護のはなはだしい破綻の結果、と解してみても良いだろうと思う」(p. 168)。そして、刺激保護を破綻するほどの強いエネルギーが内部に侵入してきた場合に、それを受け取るための態勢が整っていないとすると、その「ショック」が組織に甚大なダメージを与えることになる。そして、これを受け止めるための態勢というのが「刺激を最初に受け取る体系の過剰な備給を持つ不安という準備状態」(p. 168-9)である。

「 このようにして、我々は受容体系の過剰な備給を持つ不安準備は、刺激保護の最後の一線になっていることを発見する。」(p. 169)

強大なエネルギーに対する防護策としては、まず「刺激保護」があり、さらに受け入れ態勢としての「不安」がある。

こうして、「災害神経症者の夢」、つまりショックな出来事を反芻的に夢に見る症状が、快感原則に反していることの説明が可能になる。たしかに、災害神経症者の夢は、快感原則に従うものとしての「願望充足」の夢ではない。しかし、その夢は、「不安の発生がとだえたことが、外傷性神経症の原因になったのだから、これらの夢は、不安を発展させつつ、刺激の統制を回復しようとするのである」(p. 169)。つまり「不安」を引き起こして強大なエネルギーに対する準備態勢をしくことに役立っているのである。そして、この時にはたらいているのは快感原則が支配しはじめる前の原則であり、快感原則以上に根源的なものであると推測される。

災害神経症者の夢は、快感原則に従っておらず、故に願望充足の原則にも従っていない。フロイトによれば、それはむしろ「反復強迫」に従っているのであって、「忘却されたものと抑圧されたものとを呼び出そうという願望に支えられる」(p. 169)。このような夢は精神分析を行なっているさいに見られる夢も同様である。したがって、かつてフロイトが夢理論として展開した願望充足(願望実現)や快感原則より以前に存在し、より根源的な機能が存在することが示唆されるのである。とはいえ、「それ〔根源的な機能〕と後の機能〔快感原則、願望充足〕が矛盾することはない」。この根源的な機能に当たるものが「快感原則に彼岸」である。

では、再び「マジックメモ」に戻る。

「その後『快感原則の彼岸』において、知覚システムにおいて発生する意識という説明不可能な現象は、持続的な痕跡の<代わりに>発生するのであるという見解を付け加えた。」(中山元訳『フロイト自我論集』、ちくま学芸文庫、p. 307)

「常に新たな知覚を無限に受け入れることができ、同時に近くの永続的な記憶痕跡を維持することができる」(p. 306)心的装置が持つ二重の構造、つまり「Bwシステム」と「記憶システム」との合わせ技になっている構造がある。そして上の記述は、その「Bwシステム」(=意識)が「記憶システム」と相互排他的であって、「記憶システム」でないがために「Bwシステム」が可能で、またその逆も然り、ということを意味している。この「<代わりに>」とはそういうことである。

そして次からフロイトは、実際に当時販売されていた「マジックメモ」というおもちゃが、この心的装置の二重構造に類似している、と話を進めていく。

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“2024/8/26”. への3件のフィードバック

  1. 2024/8/28 – shanazawa.com

    […] このことは、眠り続けるということにも役立つ。眠っている時の外的刺激はその人を覚醒へと促すのであるが、その人は覚醒するよりもむしろその外的刺激を夢の中で再生することによって、つまり夢を見ることによって、眠り続けることができる。眠っている時に漂ってくるケーキのいい香りは、その人を覚醒させてケーキを取りに行かせるよりも、夢の中でケーキを食べさせるのである。これは内的刺激についても当てはまる。内的刺激(あるいは内的興奮)もまた覚醒を促すが、それをも人は夢に見ることによって処理する。この時、「投影」が起きていることが理解される。つまり内的な衝動は夢の中で外的刺激として感覚されるのである。これは「快感原則の彼岸」においても論じられていた、刺激保護の効かない内的刺激(つまり自分の力でコントロールできない)をあたかも外的刺激のように(つまりコントロール可能なもののように)取り扱う「投影(投射)Projektion」と同じである(https://shanazawa4.wordpress.com/2024/08/26/2024-8-26/)。 […]

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  2. 2024/8/12 – shanazawa.com

    […] 以下、8/26(https://shanazawa4.wordpress.com/2024/08/26/2024-8-26/)に続く。 […]

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  3. フロイトのメタ心理学を読む。 – shanazawa.com

    […] 2024/8/26(https://shanazawa4.wordpress.com/2024/08/26/2024-8-26/) […]

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