2024/8/7

ラカンにおける「シニフィカシオン」概念について調べていたらかなり長い道のりが見えてきて、同時に前から気になっていた「前意識le préconscient」について調べ始めた。50年代の用例はある程度限られていて、全て集めた。次に内容に入っていくのだが、これはどうやらフロイトの夢理論をラカンが注釈していくなかで問題になっているらしい。対象となるテクストは、『夢解釈』第七章「夢事象の心理学」、『科学的心理学草案』、「夢理論へのメタ心理学的補遺」。

セミネール1巻で「夢理論へのメタ心理学的補遺」の検討を行っているので読んでみると、短いのだがこれが難しい。「夢事象の心理学」をもとにしているようなので、こちらを読んでみる。

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今日から2泊3日で西伊豆に旅行に来ている。父親と、弟4人とである。父は僕が小学5年の終わりに母と離婚し、だいたい中3〜高1くらいの時期に再婚した。一緒に来ている4人の弟のうち、一人は僕と同じ母からの生まれであり、あとの3人は母違いの弟たちである。全員男である。

運営している研究会「思想塾」には南方の出身者が多いが、なかでも離島出身者が2人いる。二人とも、自分の生まれ育った土地にのっぴきならない感情を持っている。反対に、僕の出身は埼玉であるがその記憶はなく、両親が離婚する小学5年まで育った記憶があるのは横浜である。あとは東京である。千葉に母方の祖母の別荘があったので小中学生の頃はたまに行くことがあったが、父も含めて、だいたいその辺りで何となく生きてきた人間である。根付く土地、故郷を持つことと持たないこと、根なし草であること。それぞれの人間の条件に対して、それぞれの人たちが互いに、あるいは自分自身に何らかの想いを抱く。僕はといえば、あまりこだわりがないし悩んだこともない。なぜだろう、と車中で父と話していて、もしかしたら、僕にとっての故郷は幼児期なのかもしれないと思った。形而上学的などこか生まれる前とか、全体とか、空想上の場所とまで言うと嘘になるが、幼少期、そしてもっといえば幼児期というのは、等身大に故郷であるように思われる。車の中では宮崎駿『君たちはどう生きるか』のDVDが流れていた。マヒトがお母さんのいる火が燃え盛る病院へ向かって走る最初の場面、いろんなことを考え、目が潤んだ。

母違いの弟たちの長男には、勉強を教えるという名目で、オンラインで毎週一緒に本を読んでいる。生き物が好きなので、『ファーブル昆虫記』の完訳版である。なかなか面白いし、ファーブルが繰り返し進化論批判をしているのが興味深い。少し前に出版された吉本隆明全集34巻に、生涯に最も影響を受けた3冊について吉本が書いた新聞記事が収録されており、たまたま目が止まった。その3冊とは、聖書、資本論、そしてファーブル昆虫記であった。

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