昨日からかなり冷え込んだ。買い物に外出するだけでぶるぶる震えて帰宅することになる。
ピエール・ルジャンドルの『検閲(へ)の愛L’amour du censeur: essai sur l’ordre dogmatique』という著作を読んでいて、次のような文章に出会った。途中からで文脈がわからないだろうから、さっと読み飛ばしてほしい。
「分析的発明とその帰結によって引き起こされたさまざまな否定的反応を、互いに混同しないことは、きわめて意味深く、実践上もきわめて重要であろう。というのも、制度的〈規則〉は、そうした怨恨を回収し、そのエネルギーを捕捉し、個人に対してもっともらしい代替物を提供する役割を担っているからである。そこには多くの差異を導入すべきであろう。問題となる反応は、この五十年間、さらにいえば大戦以後、ナショナリズム的ドグマが[20]形成されるこれらの国民的集合体の内部において、大きく変化してきたに違いない。その正確な内実は、法学者を除いてはいまだ誰にも知られていない(少なくとも彼らは、そのような無知に無罰で身を委ねることはできない)。国民法は、言語と同様に、差異を運び、文化人類学的距離を固定する。国民的検閲の帰属者たちは相互に置換可能ではなく、この点について自己欺瞞に陥ることは、まさにドグマ主義の更新について多くを物語る。すなわち、教義的脅迫と、歴史の普遍的廃止を宣言する最も冷笑的な広告操作とに支配された、われわれの社会における更新についてである。古いナショナリズムというこの観点から、人間集団が自らの伝統的訓育へと接合される様態を再検討することは、きわめて有益であろう。最近の狂信が、われわれに一人の〈教皇フロイト〉を作り上げたのと同様に、精神分析への抵抗もまた、いくつかの変種を示してきたのである。
さらに言えば、これらの抵抗は、原初的拒否として、最も根源的な否定を表明するものとして、想起されるに値する。性的理論が文化およびその政治的訓育の学と密接に結びついている、という喚起は、大きな恐怖を引き起こした。フロイトは、自らの挑戦を説明することに特に捧げられた論述においても、また臨床報告の過程においても、反対のすべてが集中するこの重力点を指摘することができた。すなわち、科学への侮辱の現行犯として告発された、いわゆる汎性欲主義である。精神分析は、どこにでも性を見る――このアフォリズムは、つい最近までフランスで通用していた。とりわけ、テクストへの尊重という祖先的反射が最も明瞭に現れるいくつかの大学的環境において、特に、なお中世的なかたちで教授されている(すべてではないが)特定の法学分野の専門家たちの近辺においてである。この事実は、注記されるに値する。というのも、それは雄弁であり、実に注目すべきだからである。そこに仮装があることは疑いようがなく、この分野の最小限の学識をもつ者であれば誰でもそれを立証できるであろう。なぜなら、スキャンダルという論拠を巧みに操っていた反対者たちの大半は、フロイトを読んでいなかったからである。これらの反応は、機械的に作動していた。おそらく、あまり知られていない一論文の中の、最も明晰な一節を参照することが有益であろう。そこではフロイトが、簡潔な数頁において自らの教えを要約している――「精神分析が性と呼ぶものは、両性を近づけ、生殖器に快楽を生じさせようとする衝動と決して同一ではなく、むしろ[21]プラトンの『饗宴』における、包括的で一般的なエロースという語が表現するものに相当する(1)」。
(1) S. Freud, Résistances à la psychanalyse, in Revue juive, n° 2, 1925, p. 215; GW, XIV, p. 105.
エロースという、やや仕組まれた主題はここでは措くことにしよう。この想起は、もう一つの重要な点を示し出すという利点も有している。すなわち、文化の伝統に対するフロイトの長大な省察である。そこにこそ、西洋の〈規則〉と〈学〉とは必然的に関わっている。精神分析は、象徴的なものが、そこには存在しない真の葛藤を擬装するために位置づけられている、と指摘することで、論争を引き起こしつつ介入する。方法的に、この生命的な背景、すなわち西洋的検閲の古代的な養魚池へと立ち戻る必要があるだろう。われわれはそこから、規範的装備のあまりにも多くを汲み取ってきたのであり、その中には確実に、迷える者のためのきわめて古い『迷える者への導きGuide des égarés』(2)も含まれている。それは、道徳と伝統を好んで求める古い精神病医学(アリエニスト医学)を、否応なく彩ってきた。ドグマ主義は至るところでその地図を描き、矯正あるいは回収の場を指定し、あらゆる真理のための迂回路(trames veritatis)を描写してきた。さらに、今ここで指摘しておこう。事の成り行きとして、伝統的知は、主体という根本問題を開かずに済むことも、また〈法〉がファルス的秩序からその正統性を受け取っていること(起源の物語における罪の教説)を示さずに済むことも、ありえなかった。教父神学は、いくつもの位相において、きわめて豊かな象徴を提供している。魂の糊あるいは釘についてのアンブロシウスとアウグスティヌスによる崇高な叙述へは、後に適切な時機において言及することになるだろう。
(2) トーラーの専門家たちは、この場違いなマイモニデスへの言及を赦してくれるであろう。論争の多い翻訳の遺産であれそうでなかれ(今日では英語版に従って『Guide des perplexes』と言われる)、この荘重な題名は、法と神学の博士たちの伝統的企てを見事に要約している。彼らの眼差しから逃れる科学の領域は、厳密に言って、一つとして存在しないのである。」
ルジャンドルの文章はすごく読みにくいので、おおかた内容の予測がついていないと頭に入ってこないだろう。だが細かいところ端折って言えば、ここではフロイトが精神分析という学問を開始したことは、それまでの権威=検閲機構のメカニズムを暴露してしまうという、歴史的にも全く新しい意義を持つものであった、という話である。そして僕が気になったのは、マイモニデスの『迷える者への導き』が、そうした権威=検閲側の諸テクストの一つとして位置付けられているということである。
ちょうど今朝、レオ・シュトラウスLeo Straussの「迫害と著述の技法Persecution and the Art of Writing」(1941/1952)という論考を読んだ(ラカンはこの著作に、「無意識における文字の審級」という論文の脚注で言及している)。シュトラウスは政治哲学者あると同時にユダヤ・イスラム思想の研究者でもあって、マイモニデスへの言及もあった。興味深いのは、シュトラウスはむしろ、マイモニデスを体制支持ではなく、「行間between the lines」(ラカンなら「entre les ligne」と呼ぶ)においては反体制的な、哲学者であると評価していたところ。シュトラウスは、ソクラテスが真理探究のために体制に従わず死んだのに対して、プラトンは結局のところソクラテスのような方法は取らず、体制派に迎合するように見せて秘教的esotericに真理を探求した、と見る。そのプラトン的な態度(表向きには体制支持、行間で真理探求と体制批判)が、ヨーロッパでは継承されず(キリスト教世界ではむしろアリストテレス系列が継承され、哲学することは体制的宗教に逆らわないどころか、宗教的概念が哲学的に妥当であるかどうかが吟味されすらした)、ユダヤ・イスラム世界で継承されることになった。つまり中世以降のキリスト教圏とは違って、ユダヤ・イスラム世界では哲学することが政治秩序的にほとんど許されなかったのである。そしてそのことは、古代ギリシアのアテナイの状況とも同類なのであった。だからこっちの世界では、哲学することの自由を確保すべく、体制の検閲をくぐり抜けるような著述の技法が発達した、とシュトラウスは論じる。その中でシュトラウスが引き合いに出す例が、マイモニデスやファーラービーなのだ。ちなみにシュトラウスによれば、『迷える者への導き』はユダヤ・イスラム世界ではほとんど等閑視されていて、むしろ権威を持つのは『ミシュネー・トーラー』などであるという。(ほかにも様々な論点があって、邦訳されるべき文献と感じる。たとえばこうした観点は、17世紀以前と以後の世界、あるいはキリスト教圏とユダヤ・イスラム教圏についての歴史的・思想的・文献学的研究の態度に違いが出てくるとか。なぜなら検閲の厳しい時代・世界の文献ほど、行間をよんで明記されている以上の事柄を解釈する必要が出てくる可能性があるから。この観点は厳密なテクスト証拠に基づく歴史学・文献学の手法と反発する)。
シュトラウスとルジャンドルの検閲論を並べて考えるのは重要そうに思える。あと思うのは、検閲の厳しい世界では以上のような著述の技法が発達し、哲学は「秘教的esoteric」な性格を持つに至ったということであるが、そのこと自体が作り出す権威(検閲)ということもあるのではないかということ。つまり政治的な統治中枢(ルジャンドルが研究する法学や統治学者)と、その検閲の目を掻い潜って裏から人々を啓蒙しようとする秘教的哲学共同体(シュトラウスの知識社会学=哲学社会学が対象とするもの)は、結局のところほとんど鏡像のようなものなのではないか?ということ。
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