少し前からAudibleで山川の歴史の参考書の朗読を毎朝聴いていた。世界史はざっと一周聴き終わって、日本史に入っていたが飽きたので、昨日くらいからJSミルの『功利主義utilitarianism』を聴いていた。これがとても面白い。
Audibleには岩波文庫がいくつかあるが、ラインナップは結構謎である。孫子とか菜根譚など、いわゆるビジネス系・自己啓発系の人たちが好きそうなものもあれば、JSミルの『功利主義』や『自由論』、デカルト『方法序説』、トマス・マン『魔の山』など、いまいち読者層がわからない選書もある。
ミルは前から気になっていたのだが、それはまずラカンが確かセミネール7巻『精神分析の倫理』の中でベンサムの功利主義に触れていたからであり、またフロイトが(たしか)ミルのドイツ語翻訳に関わっていたと聞いたことがあったからである。『功利主義』序章から第1章にかけての部分で、有名な「満足した豚であるより不満足な人間である方がよい。満足した愚者であるより不満足なソクラテスである方がよい。」という言葉と、そもそも功利主義(効用の原理)というのはどういう考え方であるのかについての概説がある。
しばしば哲学の教科書的な説明として、カントが義務論でベンサム=ミルが功利主義、二つの立場は対立する、と学ぶ。しかし時代的に言えばミルの方がカントよりも後で、ミルは当然カントを読んだ上で(『人倫の形而上学』を想定している)みずからの功利主義を提唱しているわけである。だからミルが功利主義に向けられる数々の誤解を論駁していく中で、功利主義がいわゆる「徳」(宗教的な義務も含む)を十分に尊重していることを何度も強調する。ミルの論じ方というのは、義務論的な倫理学や徳を重んじる価値観を正面から批判するのでなく、それらがそれだけではどれも不十分であり、効用の原理こそがそれらを包摂する倫理学体系だ、というふうになっている(つまり、宗教的な英雄の生き方は功利主義的にも偉大だということになるし、神の御心に従った生き方の準則は功利主義の原理と一致する)。
議論としてはフロイトの『文化への不満』にかなり通じるところがあって、フロイトがミルの名前を出したことがあるかどうか記憶にないが、意識はしているのだろうと感じた。そもそも精神分析は根本に「快感原則」をおいている点で、倫理学の伝統の中ではある種の功利主義に近いとも言えるわけだ。ラカンはセミネール7巻の中でそのことを考えていて、アリストテレス、ベンサム=ミルなどを検討する中で精神分析の倫理学史上の位置を論じる。
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