2025/4/18

Arrivé, M. (1989). Pichon et Lacan: quelques lieux de rencontre. Histoire épistémologie langage, 11(2), 121-140.を読んだ。

おそらく1994年のLangage et psychanalyse, linguistique et inconscient: Freud, Saussure, Pichon, Lacan. Presses Universitaires de France – PUF.に向けて書いていた論文だろう。ラカンにおけるダムレット&ピション(DP)の隠された影響と重要性を説く内容。確かにこれは重要そうである。以下にWorkflowyにまとめたものを示す。

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  • 全体的にルディネスコ『フランスにおける精神分析史』への参照が多い。
  • ミシェル・アリヴェ
  • 「Pichon et Lacan : quelques lieux de rencontre」
  • 1. 序論 ― 「引用数クイズ」から見える問題設定
  • 目的:ラカンの Écrits に頻出する言語学者ランキングを手がかりに、エドゥアール・ピション(しばしばジャック・ダムレットと併記)がラカンにとってどれほど重要だったかを掘り下げる。
  • 統計:引用回数はソシュール10、ヤーコブソン6、ピション5(うち2回はダムレットと連名)。だがピションの名前を挙げずに賞賛している部分があり、そこを入れるとヤコブソンと並ぶ6回となる。
  • Écrits には「ピションを高く評価しながら名前を隠す箇所」があり、その戦略的沈黙の意味(ラカンの修辞戦略/当時のピションの評判)を提起。
  • 2. ピションという人物像と学際的位置
  • 二重の顔:著名な臨床医・精神分析家でありながら、フランス語大文法 Des Mots à la Pensée の共著者。
  • 学界の盲点:現代言語学者の多くは、ピションがフロイト派分析家で「das Es → ça」訳を主張した(当時はle soiが訳語として流通していたらしい)事実を知らない。
  • 例示:同書1巻で〈母–海〉の同音関係を精神分析的象徴で読むなど、言語研究の随所に分析家の視点が潜む。アリヴェの引用する1巻の記述に、forclusif, scotomisationといった重要概念が登場する。またピションはラフォルグとの共著論文を書いている「スキゾノイアの概念」。
  • 言語学者でありかつ精神分析家であるという人物は、アリヴェによればピションのほかに存在しない(現代ではいるらしい)。
  • ここまでで区切り。ピションという人物の凄さ、例外性と、その知られにくさ(言語学的著作の中で自分が精神分析家であることを明確にしていないことなど)を示すパート。
  • 3. ラカンとピションの「出会い」の類型
  • 同時代的・地理的接触(略史)
  • エールと批判:ピションが1939年にラカンの家族論を高く評価しつつ「小石を残せ」と諭す記事。後輩(ラカン)に対するアドバイス。「小石petit caillou」はおそらく「手がかり、ヒント」のような意味の比喩だろう。ラカンのテクストの晦渋さに対してか。
  • 概念的交差(以下で詳細)。
  • 4. 共通テーマ ① ― 同音/シシミーと lalangue
  • DP理論sysémie homophonique(同音的結びつき)は無意識レベルで働き、詩語で頂点に達する。
  • ラカンlalangue を「等価音の総体=無意識の構造」と定義し、語呂合わせ(例 : deux/d’eux)を臨床言説に多用。
  • 結論:両者とも「無意識=言語(≒語)」という構図を同音現象で支える。DPは「無意識inconscient」と「潜在意識(下意識)subconscient」をあまり区別しておらず、無意識と意識の間に曖昧な連続性を敷いている点ではフロイト=ラカンに反するが、その「無意識=下意識」が言語的に構造化されていることを示している点ではラカンに一致する。
  • 5. 共通テーマ ② ― 人称と主体
  • DP:人称代名詞を「empersonnement ténu(連接形)/étoffé(独立形)」に二分。
  • ラカン:これを Je(主体)/moi(イメージ的自我)の区分へ転用し、「Je はシフター、moi は意味のメトニミー」と定義。「意味作用の換喩」というのは「無意識における主体の転覆」に出てくる表現だが、内実不明。
  • 問題点:ベンヴェニストの反論やラカンの引用ミス(subtile vs ténue)を含むが、枠組みはDP起源。
  • ピションはソシュールにおける「記号の恣意性」を批判している。「boeuf」について、その対象と感覚イメージは別物であるのに、ソシュールはこの二つを混同しているのだという(「フランスにおける言語学」p. 26 )。2年後、バンヴェニストはほぼ同じロジックで「記号の恣意性」を批判している(「言語記号の本性」(『一般言語学の諸問題 I』p. 49‑55 )が、ピションには一切言及していないらしい…。(註19)
  • レトルディやアンコールの時期になると、ラカンはソシュールやバンヴェニストをもはやぞんざいに扱うようになるが、ヤコブソンだけは例外である。なぜならヤコブソンはラカンに「好意的」だったからだという。(註22)
  • 6. 共通テーマ ③ ― 否定・不在の二層構造
  • DPタクシーム
  • 意味範囲
  • ラカンでの位置づけ
  • discordance (ne)
  • 2要素のずれ/比較 例えば「AはBではない」という否定分の「ne」は、AとBという二つの要素の間の「不一致discordance」を表現する。そこから、不等比較文(ex. 「l’âme de saint François était plus belle que n’est la mienne(聖フランチェスコの魂は私の魂よりも美しかった)」)にもこの「discordantiel ne」が現れる。
  • 「言表主体」と「言説主体」間のズレを示すマーカー。 言表行為の主体と言表内容の主体の「不一致discordance」を示す否定辞「ne」としてラカンに解釈される。「discordantiel ne」についてラカンはセミネール7巻『倫理』で説明しているが、そこではすでに以前に話したような語りぶりであった。アリヴェはその先行箇所を見つけることができなかったとしている。少し調べてみたが、セミネール3巻でピションや『語から思考へ』について言及しているところでは、別の主題(人称性が衝立のqueを通過するか否かや、亀と鴨の寓話など)についてであった。インデックスで「ne」のところを見ると、セミネール6巻で「discordantiel ne」の話をしているらしいので、そのことだろう。
  • forclusion (pas, rien など)
  • 事実・概念の現実界からの排除 「法学由来の語である forclusion は、「話者が現実の一部として想定していない事態に適用される。こうした事態は一種〈排除〉されている」(第 I 巻 138 頁)ことから名づけられた。」[129]
  • ラカンが『精神病』の最後の方でVerwerfungの訳語として示すforclusionは、DP由来である可能性が高い。
  • Verwerfung(排除)と訳され、精神病の核心機制を示す forclusionが無意識過程の言語的モデルであり、これを誇張するとscotomisation(盲目化)と呼ばれる(DP)。これに対して、forclusionの発現形態であるscotomisationは、ラカンにおいてはフロイトのVerwerfungに対応している。
    • DP:forclusion→scotomisation
    • ラカン:forclusion→Verwerfung
  • ラカンは Séminaire IIIforclusion を精神病の主要概念に採用し、ピションの語を精神分析に移植。アリヴェの見るところでは、DPのforclusionの対象が事実や観念(=認めたくない事実、観念)であるのに対し、ラカンのforclusionの対象はシニフィアンである点で異なる。だがforclusionの「機能」に関しては、両者の見解は一致している。
  • 註27「大ざっぱに言えば、非ラカン派はフロイトの Verwerfung を他の諸機制の中へ希釈しようとする(例として Laplanche & Pontalis『精神分析用語辞典』の〈forclusion〉項を見よ。ただし同辞典で「ラカン的」語が現れるのはこの項だけであり──言うまでもなく──ダムレットとピションの名は再び黙殺されている)。反対に ラカン派Verwerfung の特異性を孤立させ、その訳語として forclusion を正当化しようとする。参照:「La forclusion – Die Verwerfung」(共同論文)『精神分析的言説』第10号、1984 年 3 月、65–68 頁。」
  • 7. 共通テーマ ④ ― メタ言語問題
  • ラカン:無意識が構造としての言語である限り「メタ言語は存在しない」。
  • DP:自らの文法メタ言語を、定義語が定義対象と同一カテゴリになるよう徹底操作(例 : Il fait factif.)。
  • 示唆:DPの「自己同型的メタ言語」は、ラカンのメタ言語否定に先行・共振する。
  • 8. 結論と今後の課題
  • 総括:ダムレット=ピション文法は、ラカンの核心理論(lalangue、主体論、否定論、メタ言語批判)を裏で支える「忘れられた礎」。
  • 未探究領域:時間性、主語の歴史語用論など、さらなる交差領域が残る。
  • 著者の展望:これらの関係を体系的に検証する書籍を準備中。
  • ただこの解説を見ると、DPは完全に内在的なメタ言語を作ろうとして失敗したのに対してラカンはメタ言語は不可能だと考えたのだから、結局両者は全く正反対の方向に行っているのではないか?DPの失敗=内在的なメタ言語は不可能=どうしてもメタ言語は対象言語からずれる=外在的なメタ言語は可能(?)となるのか?

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