吉本の論旨のしっくりこないのは、吉本が不幸と絶望ということについて踏み込んでいないからだと思う。原始キリスト教の底意地の悪さを単に底意地にの悪さとしておくこと、倒錯した復讐心を身にしみて感じていないのだと思う。
これに対してキェルケゴール『死にいたる病』はヴェイユ的不幸=絶望を哲学的・モラリスト的に分析した最も偉大な事例の一つである。当然前提として真なる絶望者であるはずの著者=キェルケゴールの嘲笑癖は、吉本の指摘するような原始キリスト教的な怨恨、共同体から排斥されたことの復讐心が背後にあることがすぐにわかる。だがこの書の問題点は、救済に関して楽観的であること、「絶望」という存在様式の一般的・多面的説明が不足していることである。
わずかな望みも絶たれた絶望の果てに絶対他力の救済がある、というのは宗教的見地からそう言うしかなかったのだろうが、たとえばヴェイユだったらそうは言わない。また「絶望」がより一般的な角度から言えば世界における人間の無力さ、よるべなさであること、神から見捨てられたという感覚であることが、最初に語られていない。それが読み手の無理解につながる。
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