吉本隆明はシモーヌ・ヴェイユについての講演でかなり具体的な制度についての持論を展開している。発想自体はごく単純。労働者に真の主権が与えられるためには(国家が「開かれる」ためには、と表現している)、国民全員による無記名直接投票が可能になればよい、とする。過半数の不信任が出れば政府は変更しなければならない。
もちろんいうは易し行うは難しというのは自覚の上で、このように語っている。これを聞いたときには肩透かしな感じがして、そんな単純なことかな、と疑問に思った。実際、会場からの質問でもそこを突くものが多かった。
この考えが実際に適切なのかどうかわからないが、宗教的だなとは思う。要するに国民の大多数を占める労働者の全員が一斉に自らの主権を自覚して行動すれば、一瞬にして国家なんか手中に収めることができるのだ、という考え方である。吉本は、全労働者が一斉に娯楽のための消費を1年間だけでも我慢すれば、それだけで日本の景気はどん底に落ちて政府はその責任をとって辞めざるを得なくなるんだ、とも言う。これもまた非現実的であるが、理屈はその通りだ。
全ての人間がいっせーのーせで自覚し行動すれば、即座に世界はよくなる。ただそれだけなのだ。そして、ただそれだけが最も難しいのだ。そういう思想。
フーコーは1981年のコレージュ・ド・フランス講義で、精神分析とマルクス主義という知の形式は、「霊性」(神秘主義)の形式と同じ構造を持っていると語った。マルクス主義というのがある種の普遍宗教的な(フーコーはソクラテスに始まる「自己への配慮」の伝統だと言うが)特徴を帯びてくる契機がここにあるのだと思う。
コメントを残す