ヤフオクで落札した電子ピアノ(YAMAHA P-125a)を引き取りに江東区まで行って帰る。思っていたより大きい、というか厚みがある。それからジュンク堂でスケッチブックと太い鉛筆、ねり消しを買った。実家からレコードも追加で何枚か持って帰る。
マタイ書を読んでいる。持っている新共同訳の冒頭のところ、何年の前に新宿無教会集会に参加していたころの、講義を聞いたときの書き込みが残っている。
山上の説教。イエスがおそらく旧約聖書での教え(モーセの十戒?)をもとに説教をするのだが、彼の解釈はかなりラディカル。
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」(マタイ, 5, 21-22)
「殺してはならない」という律法が「腹を立ててはならない」という教えに変えられている。徹底化ともいえるかもしれないが、普通の感覚で見れば、あまりにも厳しい律法ともいえる。他方で、安息日に麦の穂を摘んだり手の萎えた人を癒したりしたこと(マタイ, 12, 1-14)については、また独自の解釈によってこれを正当化している。
「そこで、イエスは言われた『ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。」云々(マタイ, 12, 3-4)
「そこで、イエスは言われた。『あなたたちのうち、だれが羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。』」(マタイ, 12, 11-12)
イエスが旧約聖書の非常にユニークな読み手、ラディカルな解釈者であったことがうかがえる。
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