2024/12/8

さっき弟と話していて思い出したことがあった。中学の時に勉強をどうしていたのかと聞かれ、僕は中学1年の時は全然勉強しなかったのでクラス最下位の成績を取り、中学2年に上がってから(なぜか)やらないといかんなという気持ちになって勉強し始めた、という話をした。

中学1年の時はしたがって、母親と本当に仲が悪かった。もともと母は勉強に関して口うるさいところがあり、僕も僕で頑固だったので、なぜ嫌いな勉強なんてものをやらなければならないのだと主張し、いつも喧嘩をしていた。中学2年になって勉強を始め、成績が上がってきた頃、やっぱり何事も自分でやろうという気持ちで始めるから意味があるんだ、と感じたことをうっすら覚えている。中1のときは勉強しろと上から押さえつけるように言われ続け、それに素直に従うのは気に食わなかった。自分自身で「やろう」と思って行動に出たから上手くいったのだ、これは自分の意志だ、とそのときは思った。いまもその思いはそんなに変わっていない。

そういう話をしていて思い出したのは、小学生の頃に父に連れて行ってもらったバイクの教室である。50ccくらいのガソリンのバイクに乗ってダートを走るプログラムに参加した。最初の方で、先生にバイクの後ろの部分を手で支えてもらいながら走るという段階があって、そのときは自分だけ全然上手く走ることができなかった。しかし、その後になって自分でアクセルをひねって走る段になると、これは簡単に上手くいった。要するに、後ろを固定され誘導された状態だと、運転しにくかったのである。人に管理・指導されると上手くいかない、反対に自由にやらせてもらうと上手くいく(少なくともモチベーションは上がる)という性格なのかもしれない、と思った。

大学受験の時も塾には行かなかった。受験勉強は意外と楽しかった。12/4の記事(https://shanazawa4.wordpress.com/2024/12/05/2024-12-4/)にも書いたが、勉強に使う教材を探して学習ルートを組んだり、勉強のやり方や時間配分を考え、自分なりの方法を確立するのは好きだった(しばしば実際の実行を侵食するくらいに)。自分というキャラクターをどのように育成すると最も効率が良いかという、パワプロ的な思考なのかもしれなかった(パワプロはほとんどやったことがない)。

さらに遡ると、ほとんど記憶に残っていない、おそらく未就学児の時に、横浜の住んでいたマンションの階段から落ちて怪我をしたことがあった。後年親から聞いたエピソードから合成されたのか、実際の記憶なのか区別がつかないが、なんとなくその状況を思い浮かべることはできる。僕は階段を降りる時に親の補助を払いのけて、「ぶじんで、ぶじんで(=自分で)」と言いながらコンクリートの階段を降りようとした結果、転げ落ちて顎の皮膚を切ってしまった。血がダラダラと垂れていたという。その後、病院で何針か縫ってもらった。僕は怖くて泣き叫んだが、手足を固定されていた気がする。

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ChatGPTを使ってIntervention après un exposé de Claude Lévi-Strauss à la Société française de philosophie, « Sur les rapports entre la mythologie et le rituel», avec une réponse de celui-ci(1956)を翻訳しまくっていたら、GPT-o1の使用回数があと25回だという通知が来た。有料会員なのになぜ、と思って調べたら、無制限に使えるのはGPT-oだけで、「o1」は週に50回しか使うことができないらしい。たしかにここ数日で少し精度が上がった気がし、また翻訳にあたって思考時間が増えた気がしていたのだが、これはGPTにあえて時間をかけて思考させることによって、より困難な課題に対しても正確な回答を出力できるようにするためのアップデートらしかった。

とりあえず、上に挙げたテクストと、「Premiers ecrits」に収録されているAbasie chez une traumatisée de guerre, paru dans la revue neurologique de paris, 1928の半分くらいを翻訳したところで、無制限に使用できるGPT-oに変えて翻訳をしてみた。確かに、出力が少しぎこちない気がする。なんというか、o1の時はほとんど何の指示もしていないのにきわめて読みやすく、見やすいレイアウトで回答を返してきていた。これに対してoの方は、色々指示しないとうまく使いやすい回答を出力できない気がする。

「Abasie chez une traumatisée de guerre」はラカンの1928年の論文で、第一次対戦中に空爆に巻き込まれて軽傷を負った女性が、器質的な障害はほとんどないにもかかわらず、歩行困難に陥るという症例を報告したものである。かなり医学プロパーな形式にもなっていて(共著者にTrénelがいる)、読んでいて正直面白くはない。最終的に、この女性は典型的な戦争精神神経症だという診断になっていた。

次はFolies simultanées, paru dans annales médico-psychologiques, 1931 (Signé par MM. Henri Claude, P. Migault et J. Lacan.)。いわゆる「フォリ・ア・ドゥ」、つまり二人の人間が共同で作り出す妄想狂気についての論文。これは現在翻訳中。もうほとんど作業である。翻訳して、コピペして、内容を確認、翻訳して、コピペして、内容を確認、の繰り返し。この年代になるとそろそろラカンの博論である『人格との関係から見たパラノイア性精神病』(1932)が出版されることになるので、ラカンがすでにフロイトへと次第に傾倒し始める時期でもある。

これらはかっちりした論文であり、特にラカン特有の語りや表現が見られるわけではない。今後の研究で活用する時が来るのかも、まだよくわからない。ただ、「象徴界、想像界および現実界」を全編訳して、これがかなり重要な内容になっていることを認識した。したがって、そもそも象徴界、想像界、現実界という3区分がどのようにして生まれてきたのかということは一つ研究対象としてあり得ると思う。そのために、30年代のラカンの地道な研究変遷を見ていくというのはある。

また現在、セミネール4巻を読むのと並行して、フロイトの『性欲論三篇』も少しずつ読んでいる(4巻で繰り返し言及されているから)。ここでも徐々に読解を行なっていきたい。フロイト-ラカンのセクシュアリティに関する議論というのは、僕はこれまではあまり触れてこなかったのだが、とうとう踏み込むぞという気持ちでいる。これまでに自分で考えてきたこともいろいろある。それと対照させてみたい。

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