一旦、この段階で再度プリントアウトして、特にレーナルト章を音読しながら赤入れ。午後は色々たまってた支払いとかを街でやってから、駒場に行って『ド・カモ』のフランス語原典を見ながら訳文を一通り修正した。これで原文チェックは終了。疲れた。ラカンの翻訳は既存訳をかなり修正したが、レーナルトの方は結構原文に忠実かつうまく訳したなという感じの訳文だった。明日は赤入れの続き。
————-
岩波文庫で新しく出た『吉本隆明詩集』を読んでいる。発売してすぐに買っていたのだが、ちょっと開いてから積読していた。なんというか、僕がふんふんと読めるようなタイプの詩、軽やかで、美食的な詩とは全然違くて、「固有時との対話」や「転位のための十篇」は、もっと吹き荒んでいて、モノクロで、荒涼として、尚且つ観念的で、重々しい。それでなんとなく胃が重たい感じがしたのでそれ以来読んでいなかった。ただその重さが、今ではそれなりに、大事なものだとわかるようになった。勇気づけられもした。
この重さ、観念性と難解さの理由は、「戦後詩について」という吉本の講演(「ほぼ日」で聴ける)を聴くとなんとなくわかる。吉本は戦後直後という時空間の特異性を語る。そこでは人々が最底辺を目撃しており、統治や支配がない真空地帯が存在していて、実地の生活がこれからどうなるのか、どうしていけばいいのかリアルにわからなくなった状況があった。日常というものの虚構が消失した瞬間が、戦後にはあった。そこから人々は高度成長にまで日本を復活させて行ったわけだが、それによって「あの戦後」は忘却されたとも言える。吉本はそれに抗って詩を書いていたということになる。
吉本は、戦後詩というのが近代詩とは全く違うのだと強調する。近代詩が花鳥風月的なものとの交感を描くとすれば、戦後詩は今述べたような特殊状況から生み出されたものである。だから、その状況を体験せず、あるいは覚えていない人にとっては、戦後詩は理解しにくい。
吉本はしたがって、もはや戦後でなくなったとしても、日常の裂け目のようなものを敏感に察知し、そこを入り口にしてあの特殊な時空間へと回帰できるような胆力というものを要求しているように思う。「詩人としての高村光太郎と夏目漱石」という講演を聴いた時にはそう思った。高村光太郎も夏目漱石も、戦前ではあるが、留学経験を通じてそういう時空間へ(別々の仕方で)向かおうとした。夏目漱石は帰る場所がないということの自覚によって、高村光太郎は帰る場所があるにもかかわらず自ら不愉快な場所へ向かうことによって。
以下引用。
ぼくのあいする同胞とそのみじめな忍従の遺伝よ
きみたちはいつぱいの抹茶をぼくに施せ
ぼくはいくらかのせんべいをふところからとり出し
無言のまま聴かうではないか
この不安な秋がぼくたちに響かせるすべての音を
(「その秋のために」より)
ぼくの孤独はほとんど極限(リミツト)に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかえす
だから ちひさなやさしい群よ
みんなのひとつひとつの貌よ
さやうなら
(「ちひさな群への挨拶」より)
ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ
(「廃人の歌」より)
めをさませ 死者たちよ
きみたちの憤死はいまもそのままぼくの憤死だ
(「死者へ瀕死者から」より)
コメントを残す