2024/11/25

へとへとに疲れていても6時前に目が覚める時があれば、疲れていないはずなのに8時台まで起きない時もある。前日の夕方ごろに昼寝をして睡眠は十分すぎるくらいだと、何故か夜また長く寝てしまうことが多い気がする。

午前中、逃避的に録音などして、お昼頃から原文チェックを再開。着実に進んではいるが、まだ終わらない。少し焦りも出てきた。訳文を直していく中で「物」については少し明瞭になってきた。ラカンはいわゆる言語の「分節化」説を採用していて、移ろいゆく流動状態、不定形の世界に秩序を与えるのが言語だと考えている。ただその具体的な詳細がユニーク。世界の整序化と人間の関係締結が裏表になっており、人間が「語」(実用性を欠いた物質)の交換を行うことで、一つの整序化された体系の中に両者が位置付けられ、関係が締結される。関係の締結が、即、整序化になっている。そうして言語による整序化によって「物たちchosesの世界」が創造される。

そのようにしてできた体系は数学的に分析可能なのだが、具体的にはレヴィ=ストロース的な意味での「親族関係」である。言葉が世界を分節化し、秩序を与えるというところまではその他の「分節化」説と変わらないが、その秩序というのが人類学的な意味での親族体系だ、というのがラカンの持ち味。

ただよくわからないのは、「語」も音韻体系を持ち、人間社会も親族体系を持っているのだが、例えば音韻体系と親族体系はどんな関係にあるのか、ということ。ラカンが「言語langage」という時には、単に語の体系(≒音韻体系)だけでなく、親族体系などを含んだ<構造化された交換体系>を考えているはずなのだが、そのヴァリアント同士がどんな関係にあるのかがよくわからない。独立にそれぞれ存在するのならいいのだが、いかんせん、親族体系が敷かれるためには交換を行わなくてはならない。つまり語の交換を行わなければならない。そうなると語の体系と親族体系が絡み合うことになると思うのだが、このあたりはどうなるのだろうか。

おそらく、人間が親族体系をもち社会を保つために交換されるものは、必ずしも「語」である必要はない。ラカンが挙げる様々な物品、穴の空いた甕とか、重すぎて持ち運べない盾とか、そういう実用性を欠いた装飾品みたいなものでも良い。貨幣でも良い。(ただし、語の利点はそれが多様で複雑にできることだとも思う)。そう考えると、語が体系をなしているということ自体が、親族体系が存在することに依存しているような気もする。つまりやはり、<構造化された交換体系>というのは一つであり、そのヴァリアントがいくつもある、とは考えられないのではないか、とも思う。

<構造化された交換体系>があるというのはOK。では、そのヴァリアントとして語の体系や親族体系、その他の体系が存在するのだろうか。ここが問1。そして仮にそうなのだとすれば、それらのヴァリアントは互いに独立なのだろうか。これが問2。独立でないとすれば、どのように関連しあっているのだろうか。これが問3。

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