2024/10/17

起きる。即座に敵意と怒りが湧いてくる。もともと夢で口論をしていた。

どこかのカフェに入ったのだが所持金がない。電子決済やカードは使えるかと聞くが、そこでは現金onlyらしい。そうなると無一文で入ってしまったことになるのでまずい。ただ、店の正面にも赤地に白字で大きく英語で、その旨が書かれていたことを思い出す。その店員は機転を効かせて、楽天カードだったら支払えると言った。本来はカード決済できないのだが、その店員がこっそりとある経路で決済してくれるらしい。財布からカード類をごっそり出して調べていくが、楽天カードは持っていない。すると別の店員が来た。さっきから注文もせずにいたことを注意された。でも、カフェで待ちあわせなら10分15分注文せずに待つことくらいありますよね、と反論した。カード類がまだ財布に仕舞われていない。台の影に隠しておいたのだが、見つかってしまった。カード決済しようとしていたことを知られてはならない。さっきの店員さんにも悪い。そのあとは記憶が曖昧。注意してきた厳しい店員と口論になった。そのカフェは非常に格式高いところで、無一文で入るなんてもってのほかなのだ。だから看板にもでかでかと現金のみであることが英語で書かれていた。でも、英語なんて外国語なんだから急いでいたりしたらスルーすることもある。別に、その程度のことで来店禁止にするならそうすればいいんじゃないですか、と言った。それからレコードについても。僕が何かレコードに関することを言ったら、店員はそれを遮るようにして、「レコードは本来…」と語り出した。レコードの本来の用途は音楽を聴くことであり、音質を高く保つためには盤のデザインとか、色とか、そういう枝葉の諸々のアレンジは必要ない、とのことだった。非常に<本質>志向かつ頭の固い店のようだった。僕はいらいらして、そのような考えは実は誤りで、枝葉的なアレンジの発展や遊びの余地みたいなものこそが、そもそもレコードがレコードでありうることを支えているのだ、ということを説得したかったのだが、うまく説明できるだけの言葉が出てこない。そういう夢だった。

目が覚めて少しケータイをいじっていたら、敵意と怒り。あまり気分は良くない。

ノートに怒りの具体的な内容を書きながら、今朝はコーヒーの気分じゃないので、中国茶の月光白を淹れる。紅茶ポットに5gほど入れて、熱湯を注ぐ。無印のポットは茶漉しが底までつかないので、茶葉がお湯に浸らない。仕方ないので茶漉し無しで茶葉をぶっ込んで淹れた。小さい茶杯にお茶と一緒に茶葉が侵入してくるので、大きいものは爪楊枝で取り除きながら飲む。うん、これなら飲める。素人なので渋みが出てしまっているが、飲めないことはない。すっきりして香りがいい。25gで2500円もしたのだ。専用の茶器を揃えたい。

相談ということについて考える。自分は他人に相談するのが苦手。それは恥ずかしいとか、人に負担を押し付けるのが申し訳ないとかいう気持ちがもちろんあるが、特に僕にとって問題なのは、相談したら避けられてしまうのではないかという恐怖だと思う。東畑さんは、人は相談されると案外嬉しいものだ、と言っていた。そうなのだろうか。すぐには信じられない。

僕自身はしばしば人から相談を受ける。相談を受けたら、たしかに嬉しい。自分を信頼してくれていることや、相手が気持ちよく話して元気になってくれる姿を見ることが自分の喜びになる。それなのに、なぜ自分は同じことを他人に期待できないのだろうか。自分は相談を受けたら嬉しいのに、なぜ、みんなもそうだ、と思えないのだろうか。ここがネックだと思う。

恥ずかしいけど、少し踏み込んで書いてみる。根拠はないが、浮かんだこと。僕は他人に相談するのは苦手だが、相談とは違う形で人に頼ったりしていると思う。とにかく構ってほしくて適当なLINEを送る、とか。そうやって構ってもらおうとするのは大抵女の子である。ごく少数の例外を除いて、男には何の用もなく連絡したりすることは少ない。別にライバル意識みたいな、相談したら負けだみたいなことは思わないのだが、なんというか、食指が動かない。それは巷で言われているマッチョイズムの犠牲になっているということでもあるのかもしれないが、僕が自分自身について考えるのは、両親との関係である。父はよく相談に乗ってくれる人だった(今もそうだ)。自分の話をよく聞いてくれて、いろんな角度から助言をくれた。札幌でバンドをやっていた時にメンバーに対して持っていた不満を、温泉に浸かりながら聞いてくれたのを覚えている。それ以外にもいろんな場面で相談したことはあった。対して母は、僕の相談を素直に聞いてくれない人だった。僕は小学5年生の時に両親が離婚して、弟と一緒に母の方に引き取られ、横浜から東京に引っ越してきた。だから母と一緒にいる時間の方が、父よりも長い。色々と考え事や嫌なことがあって、家には母しかいないので(ここ、弟に相談できない、というのも自分の問題の一つである)、母に話を聞いてもらおうとして試みるのだが、いつも母は僕の期待しているような聞き方をしてくれない。僕にとっては理解不能な解釈をしたり、説教がましくなったりして、最後には喧嘩になることが多かった。その度に、もう母なんかに相談するものか、と決意した。それでも時間が経つとまた相談してみる、そしてまたがっかりして、を繰り返していた。父への相談はいつも成功し、母への相談はいつも失敗していた。そのことが今の自分の状況を作り出しているような気がする。母への相談を、別の相手に向けて、今でもトライし続けているような気がする。ひょっとしたら、成功させたいとも思っていないのかもしれない。失敗しようとしてトライしているのかもしれない。

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