2024/10/12

今日は朝は通常通り目覚めて、シャワーを浴びてからぽつぽつと修論の続きを書こうとすると、違和感に気づいた。なんか、やりたくない。どう進めていくか何も頭に浮かばず、書き出せず、不安と焦燥感が湧き上がってくる。嫌な感じだ。とりあえず切り上げてコーヒーを淹れようとするが、昨日水を継ぎ足しておくのを忘れてお湯がほとんどない。嫌な感じだ(解釈がいちいちネガティヴになっていることにも気づく)。沸くのを待つ時間はない。仕方ないからパンだけ焼いて食べた。超熟の5枚切り。少し前に5枚切りがなくて代わりに買った300円くらいするSEIYUのホテルブレッドは不味かった。超熟の方が全然美味しい。

音楽を流して、キッチンに寄りかかってぼーっとする。今日は休みたい。だが、朝一でクリーニング屋に行かないといけないし、10時からは家庭教師もある。面倒くさい。流石に風邪でもないのに当日いきなり休むのは気が引けるし、お金の問題もある。準備をして家を出る。

この嫌な感じは春以来だ、と気づく。やる気がなくなる。特に勉強関連のことには吐き気がする。忙しくなったからだ。授業が始まって、DELFの試験が目前に迫り、修論の提出もある。哲学の門に出した論文の結果はまだ返ってこないし、返ってきたら修正作業があるかもしれない。修論の見通しはまだ完全とは言えない。特にレヴィ=ストロースの部分をどうまとめるか見当がつかない。集めた論文はほぼ目を通した。が、それをどう自分の議論の形にするべきか…。なにか実のあることを書けるだろうか。修論の提出が終わって12月後半には日本ラカン協会の大会があり、その個人発表の申し込みが今月で締め切りである。どうしよう、修論をもとに何か発表してみたいけど、できるだろうか。修論の提出が終わってから再査読の修正や、思想塾の論集のテクストや、授業のレポートなど、他のことで忙しくなって準備できないかもしれない。そもそも題目は今決めないといけないのだろうか。フランス語の勉強も続けなければならない。自分は研究者としてやっていけるのだろうか。やっていきたいのだろうか。他の生き方にはどんなものがあるだろうか。博士課程の先輩の論文は素晴らしかった。自分にあんな文章が書けると思えない。自分にできることをやるしかない。だがそれはただレベルが低いということなのではないか?こんなことをいちいち悩んでいるようでは遅れてしまう。自分の才能を信じられない。焦りがじわじわと広がっていく。

この感じは、DELF B1を受けるために集中的にフランス語を勉強していた4〜5月ごろにもあった。参考書を開いて勉強しようと机に向かうのだが、抵抗感が凄まじく、でもやらないといけないというプレッシャーとの妥協点としてぼーっとしてしまう現象が起きる。ぼーっとしてはいるが、頭の中では将来のことを目まぐるしく考えていて、それに身体を動かすための頭のリソースが奪われているような感じ。家庭教師先でも、教えるのが億劫。あまり声を出したくない。寝っ転がっていたい。眠い。階下から聞こえてくる母親の声がキーキーうるさい。静かなところのに一人でいたい。あるいは、優しくしてくれる人に抱きつきたい。

こういう時に無理をすると絶対に後悔することを、今はもう知っている。この将来への不安はだんだんと自分が愛されないことの絶望、そして「孤独野垂れ死に妄想」へと変化していって、毎夜一人で枕を濡らすことになる。まずは、勉強も研究も一旦忘れよう。一旦忘れても、まだ時間はある。それから、いくつかのことを諦める。DELF B2は諦める。少なくとも無理しての勉強はしばらくしない。修論提出後のラカン協会の個人発表はやらない方向で。まあ、もし締め切り前にまたやる気が出てきたら申し込んでみてもいいかもしれない。

明日は日曜で何も予定がない。よかった。自分の気持ちいいことだけして過ごそう。何日かそうやって過ごしてみる。少し人と話すのでもいい。今日、久しぶりに来た生徒と一緒に本を読んで喋ったら、少し元気が出た。

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