2024/10/5

Vincent Descombes_(2009, 1st. 1980)_L’Équivoque du symboliqueをほぼ読み終わった。後半の「Loi」の章は一部、ラカンとレヴィ=ストロースのシステム観の違いに関する重要な記述があるので、そこはレヴィストロースの「ordres des ordres」の議論を確認しながらあらためて検討する。だが、それ以外はモーセの十戒の話やら、そこからラカンの道徳法則の議論(セミネール7巻『倫理』と思われる)が展開されて、それがさらにルソーの「一般意志」などと結び付けられていくので、目下の必要な材料にはあまりならなさそうであった。とはいえ、論文としてはいずれまた立ち戻って検討する意義のありそうな、重厚なものであった。

論文としては次はLucien Scubla, « Le symbolique chez Lévi-Strauss et chez Lacan »が良いかなと思う。修論の中で何か先行研究の整理と検討を行う部分があるとすれば、この「象徴的なもの」に関するラカンとレヴィ=ストロースの比較になる。ラカンはたしかにレヴィ=ストロースから影響を受けているが、立場の異なる部分もある。

また、レーナルト章を書いているので、Zafiropoulos, M.(2003) Lacan et Lévi- Strauss ou le retour à Freud, 1951- 1957の、レーナルトに関する記述も見ておきたい。ラカンとレーナルトに言及する貴重な先行研究になるかもしれない。

日本語文献としてあと残っているのは、

・新宮&立木『フロイト=ラカン』(2005)第五章「貨幣論とフロイト=ラカン」
・岡安裕介_2020_言語伝承と無意識 : 精神分析としての民俗学
・河野_2022_ラカンと社会的なもの_モースとレヴィ=ストロース
・河野_2023_レヴィ=ストロースの読者、ラカン

河野の二つの論文は以前読んだことがあるので後回し。とりあえずはあと二つか。かなり進んだ。

予定より早く、注文していたラカンのLe Mythe individuel du névrosé: ou poésie et vérité dans la névrose(Seuil)が届いた。「個人神話」の論文は前歴史的な「布置=星座constellation」というのが、ラカンの考える「象徴的秩序」の一つの定義として使える。ラカンは「象徴界、想像界および現実界」(1953)の中で、レーナルトのいう「現実」をレヴィ=ストロース的な「親族の基本構造」と捉えていて、なんというか、象徴的秩序とは親族関係である、ということになるとあまりにも狭義ではないかという気もする。つまりラカンが「象徴的なもの」について語るときに、それが言語学的な意味でのシニフィアンの差異的な体系のことなのか、親族関係の構造のことなのか、ねずみ男のような主体の前歴史的な星座のことなのか、よくわからないのだ。あるいはそれらが同じものなのだとすれば、どのように統一的に捉えることができるだろうか。シニフィアンの一つ一つは人間が当てはまるのだろうか。事物や観念もまた構造の諸要素たりうるのか。

「個人神話」のほかに収録されているのが2篇あって、一つは十字架の聖ヨハネの話題が出る「象徴、そしてその宗教的機能Du Symbole et de sa Fonction Religieuse」(1954年の討論)、もう一つは1956年のレヴィ=ストロースとの討論。前者の前半部分はレーナルトの名前も登場して「パロール」に関してかなり長く発言が続いているし、後者は我々の扱っている題材そのものなので、この本は全体的に修論にとって重要になりそうである。

「象徴、そしてその宗教的機能Du Symbole et de sa Fonction Religieuse」の十字架の聖ヨハネ『暗夜』解釈とエリアーデとの論争は、後期の西洋神秘主義の講義のレポートの対象にしたい。さらにバリュジの十字架の聖ヨハネの象徴主義的解釈も参照して、あるいは可能であれば先行研究も見て、のちに論文として発表できるもののタネになるものを書いてみたい。が、時間的にどこまで行けるか。11月頭にDELF B2、12月頭に修論提出。そこからできれば年内にラカン協会に修論のレヴィ=ストロースの部分を整えて査読提出し、レポートに費やせる時間は年明けかもしれない。それに思想塾の論集に収録する論文もなるべく年内に形を作っておかなくてはならない。11月には8月に哲学の門に提出した論文の査読結果が返ってくるだろうし、修正があればこれも大変な作業である。

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“2024/10/5”. への1件のコメント

  1. 2024/10/10 – shanazawa.com

    […] そしてここからがScubla独自の議論が最後にかけて展開されるのだが、扱われるのはルソーである(Scublaが大部分依拠していると思われるデコンブDecombesもまた、ラカンやレヴィ=ストロースらを自然から文化への移行を論じるルソー的な社会契約論者だと表現したり、ラカンの大他者をルソーの一般意志と同等視したりしていた、cf. 9/29の記事https://shanazawa4.wordpress.com/2024/09/29/2024-9-29/、および10/5の記事https://shanazawa4.wordpress.com/2024/10/05/2024-10-5/)。 […]

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