今朝札幌に着いた。五年半ぶりである。北大生時代によく行っていた駅前の喫茶店「ルフラン」に入ってモーニングを食べて、これを書いている。往年の名曲のピアノ&ストリングスカバーのような音楽が流れている。良い天気で、晴れやかに昔の生活のことが想い出される。このあとは札幌学院大学に行ってラカンとレヴィ=ストロースに関する資料を手にいれ、複写し、再び札幌に戻ってきてから北大や当時住んでいた地域を歩く予定である。
11歳までは横浜に住み、そこから18歳まで東京、そして大学進学で4年間札幌の住んでから、23歳から現在までまた東京に住んでいる。今月28歳になった。それでも札幌は僕にとって、ほかに劣らない意味をもつ土地である。
思想塾の友人に、時間よりも空間、歴史よりも土地を重視する人物がいる。彼も自分の故郷に重大な思い入れがある。新千歳空港から札幌に向かう鉄道の茶色い内装、キャリーケースを脇に寄せて車両の連結部付近に集まる人々、駅のまわりにはえる白樺、変わりやすい天気、重たい雲とそこから滲むようにさす太陽光、それらの知覚が、僕の忘れていた記憶を次々に思い出させた。記憶が消滅するということはあるのだろうか。消滅したとしてもそれは認識されない。「忘れられた記憶」はあるとしても、「消滅した記憶」は、その定義上存在しえないともいえる。記憶は思い出されることによって記憶になるという存在形式を持っているのだから、思い出されない記憶は記憶ではない。とはいえそれは「時間」優位的な見方であって、もし空間優位的に考えるなら、記憶は土地に眠っていることになる。熊野純彦のベルクソンのゼミで『試論』を読んでいる時、熊野先生も雑談的に、時間優位、空間優位という見方の違いがあるという話をしたことがある。もちろん、ベルクソンは時間優位の哲学者であり、ハイデガーもまたそうである。『存在と時間』の1番最後の方の注の中でハイデガーがベルクソンについて述べているところから、ハイデガーに流れ込むベルクソンの影響の意外な大きさというのを熊野先生も指摘していた。哲学者の中では時間を空間よりも重視し、ポジティヴな地位を与える人が多い。しかし反対に空間優位の哲学者というのもいる。誰が挙げられていたかは忘れてしまったが、日本人が挙げられていたように思う。
二十歳前後は何も考えていなかった。当時の自分の主観的な記憶(トートロジー)はある。そこでものを考えて生きていたのは(たぶん)ほかでもない自分である。しかし、それが主観であるにもかかわらずいまの自分にとってはよそよそしく感じる。あの時にしかできない行動や、悪いことや、ものの感じ方があった。自分なのだが自分ではない不思議な存在がうろうろと動きまわっていた土地、それが僕にとっての札幌である。
札幌学院大学にいってラカンとレヴィ=ストロースの資料を無事見つけることができた。Zafiropoulos, M.(2003) Lacan et Lévi- Strauss ou le retour à Freud, 1951- 1957. P.U.F.である。ざっと見た感じ、Decombesと同じく僕の研究の方向性にぴったりなものだった。というのはつまり、この本は1957年までのラカンのセミネールおよびエクリの論文に限定して、そのレヴィ=ストロースからの影響と、それによってラカンの著作をどう読み解けるかについて詳細に検討しているからである。文献表にはモーリス・レーナルトの『ド・カモ』もあって、かなりひろく参照できそうな文献である。Zafiropoulosのこの著作には、以前扱おうとして後回しにしたAlain Delrieu.(1999) Levi-Strauss lecteur de Freudの著者Delrieuが寄せた書評をネット上で読むことができる(未読)。Delrieuはたしかラカンに直接教わる立場にいた研究者であるし、Zafiropoulosは Delrieuだけでなくレヴィ=ストロースにも執筆の過程で世話になったらしい。Lucchelliもレヴィ=ストロースとコミュニケーションをとっていた。人類学との関係でラカンを研究する研究者たちから、晩年のレヴィ=ストロースはいろいろと教えを請われていたらしい。すこしずつ研究史のおおまかな見取り図も浮かび上がりつつある。
札幌に引き返して今度は北大に行った。正門から入って中央の道を北18条方面へ歩き続ける。途中、スマホの電源を回復するために図書館に入った。充電中、2Fの棚をぐるっと見てまわった。心理学系は充実しているが、ラカンの著作だけ少ない。北大の図書館は北大の4年生のときに毎日通って入り浸っていたところだ。話は戻るが、札幌学院大の図書館は想像していたよりずっと良い空間で、なおかつ充実していた。北大と同じく一般の人でも用紙に記入して身分証を見せれば閲覧・貸し出しが可能なのが大変ありがたい。都内の大学ではまずありえない。札幌学院大図書館は広々としていて、陽の光が気持ちよく差し込んでいた。哲学系の棚もなかなか良い。ドイツ哲学のところはハイデガー全集、フィヒテ全集など揃っていた。洋書は3Fの第一書庫で、自由に出入りができる。出庫手続きや入庫申請をせずとも自由に書庫の本を見て回れるのは非常に便利である。また、建物もかなり自由に出入り可能で、椅子と机があるラウンジのようなものがすぐに見つかるので、作業したり、一息ついたりすることができる。東大はとくに駒場は、図書館を出ると無料で時間を潰せるところがないから困る。
キョロキョロと景色を見てまわりながら教養棟まで歩き、そこで大学を出て北18条駅を右に曲がる形で、折り返して南へ向かった。すでに疲れている。ただこの通りは知っている店がいくつも残っていて、それを知覚するたびに思い出が噴出するので顔がほころんだ。朝まで飲んだカネサビル、飼っていた蟻を放した公園、新歓の打ち上げに使った中華料理屋、テスト終わりにいつも行っていたラーメン屋、すこし屈辱的な思い出のある美容院、母が札幌に来た時に行った家のすぐ近くの居酒屋、など。
北大時代に住んでいたマンションに着く。1F部分は100円ショップだったのが、いまではツルハドラッグになっていた。大家さんにお土産を買ってきていたのである。大家さんとは、学生の頃、東京に帰省するたびにお土産を持って帰って訪問したり、鍵を無くして迷惑をかけたり、豚汁を作ったのを差し入れしてもらったりと、なにかと接点があった。当時すでに、そうやってコミュニケーションを取ってくれる学生がほとんどいなくなったと嘆いており、それだけに一層嬉しかったのか、僕が手土産を持って訪問するたびに長く立ち話をした。
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