「マジックメモについての覚書」(1925)は短いので最後まで見てしまおう。
「マジック・メモ〔Wunderblock/printator〕」は簡易的なメモ用具で、手で操作することによって自由に記載内容を消去することができる。つまり単なる白紙のように一度書き込んだらもう書き込めなくなるということがなく、また石盤のように持続的痕跡を保持できないわけでもない。「この装置はいつでも新たな受け入れ能力を提供すると同時に、記録したメモの持続的な痕跡を維持すると言う2つの能力を備えていることを確信できるのである」(中山元訳『フロイト自我論集』、ちくま学芸文庫、p. 307)。
どうだろう。白紙と違うことはわかるが、石盤とはどう違うのだろうか。マジックメモもまた、新しく書き込もうと思ったら前の内容は消去しなければならないという点では、石盤と変わらないのではないだろうか。
ともかく、フロイトはこのメモ装置が自身の心的装置の構造ときわめて類似していると考える。マジックメモについて検索してみると、その外観はいくつか写真が出てくるが、実際に使ってみた動画などがなく、リアルな動作を確認することができなかった。
「このマジック・メモは、暗褐色の合成樹脂、あるいはワックスのボードに厚紙の縁をつけたものである。ボードの上を1枚の透明なカバー・シートが覆っていて、その上端がボードに固定されている。このカバー・シートは固定されている部分をのぞいてボードから離れている。この小さな装置で最も興味深いのはこのカバー・シートの部分である。このカバー・シートは2枚のシートで構成され、シートは二箇所の末端部分をのぞくと互いに離すことができる。上のシートは透明なセルロイドである。下のシートは半透明の薄いパラフィン紙である。この装置を使用しないときには、パラフィン紙の下の面は、ワックスボードの上の表面に軽く粘着している。」(p. 308)
「このマジックメモを使う際にはボードを覆ったカバー・シートのセルロイドのシートの部分にメモを書く。そのためには鉛筆のチョークも不要である。受け入れ表面の上に何か物質を沈着させて記録を残すのではないからである。このマジックメモは、古代において粘土板や蠟盤に記録したのと同じ方法を採用しているのであり、尖筆のようなもので、表面を引っ掻くと、表面が凹み、これが『記録』となるのである。 マジックメモでは、このひっかく動作は直接行われるのではなく、ボードを覆った2枚のシートを返して行われるシートの上から尖筆でパラフィン紙に覆われた蠟盤の表面に文字を書きつける。このようにして形成された溝がセルロイドの開発、色のなめらかな表面の上で暗い文字として見えるのである。 記録を抹消したい場合には、重なっているカバーシートの下部を軽く上に引き上げ、蠟盤の表面とパラフィン紙の密着を分離するだけで十分である。すると文字を書きつけた場所で維持されていた蠟盤とパラフィン紙の密接な接触が立たれ、2つの表面が再び重なっても、この記録は再現されない。マジックメモの上の文字は新しいメモを受け入れることができる状態になっているわけである。」(p. 308-9)

こういう記述の細かさはつくづくフロイトの十八番だなと思う。ざっくりまとめれば、3枚の層が存在するということになるだろうか。上から、セルロイド、パラフィン紙、蠟盤(ワックス)である。セルロイド・シートの上から尖筆などの何か細いもので圧を加えてやると、その下のパラフィン紙が、圧のかかった部分だけさらに下の蠟盤と粘着し、その部分が痕跡として「記録」される。書き込める部分が少なくなってきたら、パラフィン紙と蠟盤の粘着を分離してやれば、痕跡も消えて新しく書き込むことができる。やはりこの辺りは石盤と同じように思われるが、フロイトの心的装置においては、一度書き込んだ痕跡がもっと深い層の記憶装置に保存され、したがってパラフィン紙と蠟盤の粘着を剥がす(=パラフィン紙の痕跡を消去する)ことで新しい知覚が可能となる、というふうになっているだろう。
つまり、パラフィン紙が「意識Bw」(=知覚)システムに相当する。蠟盤は記憶システムに相当するが、マジックメモの場合は心的装置のような永続的な記録能力は持っていない。厳密にはそういう違いがある(フロイト自身も直後で、マジックメモには心的装置のような記憶能力はないと認めている)。そして、一番外側のセルロイド・シートは、「快感原則の彼岸」で導入されていた「刺激保護」の装置に相当する。実際セルロイド層は必要である。セルロイド層無しに直接パラフィン紙に書きつけようとすると、パラフィン紙に皺ができたり破れてしまったりするとフロイトはいう。パラフィン紙がその弾力性を保ち、刺激の受け入れと消去を自由に行えるようにするためには、セルロイドが外界からの刺激を緩和してやることが必要なのである。
フロイトは最後に、意識システムの働き方についてあたためていた仮説を開陳している。とても簡素な記述でわかりにくいのだが、一つの前提があると思う。それは、意識システムが働くためにはエネルギーの備給が必要だということである。これを踏まえれば次の文章が理解できる。
「これまで自分の胸にしまってきたこの仮説では、備給の刺激伝達が、自我の内部から完全に透過性の知覚-意識システムへと急速で、定期的なインパルスとして送り出され、撤回される。このシステムがこのような方法で備給されている限り、これは意識に伴う知覚を受け取り、無意識の記憶システムに興奮を伝達する。備給が撤回されると、同時に意識の<灯>が消え、このシステムの機能を停止する。無意識が、知覚-意識システムを介して、外界に触手を伸ばし、外部の刺激を試食すると、急いで触手を引っ込めるかのようである。」(p. 311)
意識はただそこにあるだけで外部刺激を受容できるわけではない。意識システムもまた、いわば<電源>を必要とする装置であり、それが動くエネルギーは内部からもたらされる。そしてエネルギーが備給されている間だけ外界の刺激を知覚し、そしてエネルギーを再び内部へち撤収する際に、意識のスイッチはOFFになり、意識の情報はそれとともに内部の記憶装置へ送られる、ということだろうか。したがって、意識はON/OFFしているのであり、意識のON/OFF、あるいはその<灯>の明滅によって、知覚と記憶が可能となる。
そして、意識システムのこのような作動が、無意識と対比されるところの意識が持つ時間性の原因にもなっているとフロイトはいう。「さらに、知覚-意識システムの機能におけるこの不連続性が、時間概念の根本ではないかと考えられる」(p. 312)。このことは「快感原則の彼岸」でも言われていたことであるが、いまいち何が言いたいのかははっきりとしない。
ただ、意識というものの存在の様式、作動の様式がすごく特殊なものであることはわかる。それは存在と非存在の間を振動することによって存在する。ラカンは特にセミネール2巻で、フロイトのメタサイコロジーにとっては無意識と同じくらい「意識」というものが重要であると強調している。スイッチがON/OFFし、「fading」する。0と1を高速に振動するというのは、ラカンが2巻のサイバネティクス講演でも論じていた「門」のモデルにも近いと言えるだろうか。
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