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論文を書き始めて2500字ほど。いい感じ。先行研究を丁寧に批判的に見ていく。前から持っている印象だが、日本のラカン研究は歴史も分量も薄い。「機知」に関して論文を探しても、いくつかは見つかるものの、それぞれが自分だけでやっていて、互いに参照し合うようなものになっていない。でも、自分も去年はそうだった。それでリジェクトされた。自分だけでラカンのテクストを読んで、それをまとめたとしても、単なるレジュメにしかならない。そう突きつけられたので、先行研究を網羅することに強迫的になっているのは自覚している。しかしなかなかコツがつかめず、今年の前半は色々と時間を無駄にした。
アクセプトされてはじめてやり方が正しかったことが証明されるが、今の時点でも学んだことが色々ある。ラカンを読んで何かを書く。しかしそれはレジュメにしかならない。ただ、ラカンはそうなりやすい。というのも、「セミネール」が基本資料であるというのが研究対象として特異である。普通、哲学者の書いたものを研究する場合、そのテクストも論文であったり著作であったりするわけで、研究機関の中で生産されたものである。相互に対話的な研究の蓄積があり、我々は古い時代から現在までの諸研究、その中でもランドマークになるような研究の布置があり、いくつかの時点でそれが整理されていて、参照可能になっている。しかしラカンの場合は私的な研究会のテクストが研究対象なのであって、ハイコンテクスト、そもそもそれがテクスト研究されることを(少なくとも初めの時期のセミネール)は想定していない。ラカンの難解さの一つの理由はそこにある。だからそれを読んで何か言えるという前に、まず理解する、読解するということが一苦労なのである。それゆえ、理解できたということ自体を論文にしたくなる。だが研究というもののスタンダードはそうではない。理解するのは当たり前、その後の、細かな解釈の分岐がある。そこに参与する必要がある。
研究論文を書く作業をやってみて、それはラカンやフロイトを読んだり、人類学のテクストを読むこととは全然違うと思った。これまではラカンを読んで、そのよくわからないところを解釈するヒントを得るために先行研究にあたっていた。だが、そうでなく、先行研究から出発するのである。先行研究をそれなりに丹念に読んで、その人の解釈と、批判点を洗い出す。複数やると、諸解釈の違い、焦点の当てられていない論点が見えてくる。特に、複数の論文を検討した後であらためてラカンの文章を読むと、「全然違うこと言ってるな」というのがいくつも見つかる。そこで、自分の解釈を与えて整合化を試みる。
ラカンを読むのは楽しい。ラカンについての論文を読むのはあまり楽しくない。だが、論文を読んで検討することで、今回整理されたこともある。
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昼過ぎ、ごろごろしていたら突然、フランス語試験のことが不安になってきた。出願日はいつだろう、このペースで合格できるのか。DALF C1まで本当に来年の上半期で到達できるのだろうか。そもそも自分は学振の「若手研究者海外挑戦プログラム」で留学したいと思っているのだが、その場合自分はどんな身分で、どんな手続きが必要なのだろう。そわそわしてきたのでCampus franceやパンテオン=ソルボンヌ大学のページを色々見ていた。するとどうやら、博士課程での研究留学について書かれていると思しきページが見つかった。そこでびっくり。「提携大学の学生である場合」という文句が不安だが、その項目に、DELF B2以上の証明書の提出と書かれている。C1は必要ないのか…!おそらく、正式に修士課程なり博士課程に入学する場合はC1が必要なのだろう。しかし海外研究員であればB1でOKなようである。これはすごく気が楽になった。あとひとつレベルを上げれば大丈夫。11月に受からなかったとしても、来年6月にはきっと準備できているはず。そう思うと途端にフランス語をやる気力も湧いてくる。ただ、東大はパンテオン=ソルボンヌの提携大学ではないらしい。慶應、早稲田、獨協などが提携であるらしい。提携外の場合の手続きもあったが、もっと詳しく見る必要がある。
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