2024/7/29

セミネール3巻の中に登場する「シニフィカシオンsignification」の用例を集め終え、それに原著のページ数を確認する作業。まあ、こういう単純労働というか事務作業みたいなものに不満はないけれども、ラカンのデータベースができればすぐ終わるようになるんだろうなとは思う。それがもしいずれできて、自分の作業が古代の徒労になったとしてもそれは構わない。

先日の研究室の打ち上げで、哲学研究って結局労働だよねという話をした。そしたらディオゲネスの研究をしている先輩から「むしろ今まで自分は哲学していたと思っていたのですか?」と問われ、ドキッとした。ソクラテスやプラトンからそう問われたら、流石にハイとは言えない。でもアリストテレスになるとちょっと労働感が出てくるらしい。ただ、労働でもいいんじゃないかとも思う。ひと仕事やった感があるし、フレッシュな気持ちにはなる。毎朝畑を耕すようにして、朝起きて、背伸びをしてさあやるか、というふうに調べ物をしたり、書いたり。最近は22時寝5時半起きがかなり定着してきて、研究はほぼ午前中で完結させている。午後の諸々の用事や人と会うこと、学校などはボーナスタイムである。これがかなり良い。午前中に片付かないものでも、まあいいや明日続きをやろうという気持ちになって諦めがつくから辛さがない。毎日少しずつでも進捗があるから心理的にも良い。午前中に用事が入ることは少ないから邪魔が入らず、イライラしない。こうなると午後の暇な時間はゴロゴロしているわけだが、こういう時間に無為にギターを爪弾いたり詩を読んだりする。

ここだけの話、哲学研究者には「文学読めないコンプレックス」が結構多く存在する。要するに自分の研究にとって有用でないものに時間を割くのが怖いのである。でも同時に、自分の研究対象は文学から影響を受けて哲学理論を構築したりしているので、必要だ必要だとは常々思っており、しかしそれを公にするのはやっぱり恥ずかしいのである。

そういうものも、暇な時間が生まれると、つまりバカンスが生まれると適当に手に取ったりするものである。だから、フランス人哲学者のような労働嫌いは、午前中に自分の仕事をチャチャっと終えて、あとはゆっくりタバコでもくゆらせながら優雅に詩でも読んでいたのではないだろうか。哲学などという理屈っぽいものを「労働」にし、自分の人生の楽しみは文学や音楽です、としてしまった方が、バランスとしてもいい感じなんじゃないだろうか。

More Posts

コメントを残す