多産ということを考える。John Faheyはカントリー・ブルースの奏者で、ギター一本で無限に曲を生み出していく。彼のライブはただ黙々とフィンガーピッキングとスライド奏法で演奏していく。正直、オープンDチューニングで延々と弾いているのを聴くとだんだん曲の展開とか違いがよくわからなくなっていき、途中どんな曲が挟まれていたのかほとんど覚えていないのだが、ある時点でふと奏でられている音の美しさに気づく瞬間が訪れる。それはアルバムを繰り返し聴いていくうちに、最初は全編素通りしていたものが、なぜかある瞬間に特定の曲の良さに気づき、そこから波が広がるようにアルバム全体の良さを感じ取れるようになっていくことに似ている。
一つ一つの曲の違いというのは、馴染みのない人にとってはほとんど存在しないに等しい。Faheyの1stアルバムは「The Transfiguration of Blind Joe Death」というタイトルで、20年代末に30曲ほど録音を残してゴスペル、カントリー・ブルースの伝説となったBlind Willie Johnsonに捧げられたものになっている。Blind Willie Johnsonを聴いてみると、正直これも、どれも似たような曲になっている。でも、それで良いのだとも思う。それを恐れないというか、似たメロディでも似たコードでも、とにかくそれで形にしてしまえばいいのである。
「原始人の作品の持つおおらかさ」(S1上巻p. 33)。単純さの中に力がある。力のある単純さを自分の中から引き出す。それが多産ということだ。
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